みなとみらいの日常に溶け込む、文豪シラーの言葉
横浜みなとみらい。近代的なビルが立ち並び、多くの観光客が行き交うこの街の地下深くから地上へ向かうエスカレーターの脇に、ふと足を止めたくなる場所があります。
「クイーンズスクエア横浜」の吹き抜けの壁面に刻まれた、ドイツの文豪フリードリヒ・シラーの詩。気づかずに通り過ぎてしまうことも多いこの場所は、実は世界的な現代アーティスト、ジョセフ・コスースによるパブリックアート『無限の境界線(The Boundaries of the Limitless)』という作品です。
なぜ、この場所にシラーの詩が選ばれたのか?その背景を知ると、いつものまち歩きが、まるで哲学の旅のような深い体験に変わります。

樹木は育成することのない
Der Baum treibt unzählige Keime,
無数の芽を生み、
die unentwickelt verderben, und
根をはり、枝や葉を拡げて
streckt weit mehr Wurzeln, Zweige und Blätter
個体と種の保存にはあまりあるほどの
nach Nahrung aus, als zu Erhaltung seines Individuums
養分を吸収する。
und seiner Gattung verwendet werden.
樹木は、この溢れんばかりの過剰を
Was er von seiner verschwenderischen Fülle
使うことも、享受することもなく自然に還すが
ungebraucht und ungenossen dem Elementarreich zurückgibt,
動物はこの溢れる養分を、自由で
das darf das Lebendige in fröhlicher
嬉々としたみずからの運動に使用する。
Bewegung verschwelgen. So gibt uns die Natur
このように自然は、その初源からの生命の
schon in ihrem materiellen Reich ein
無限の展開にむけての秩序を奏でている。
Vorspiel des Unbegrenzten und hebt
物質としての束縛を少しずつ断ちきり、
hier schon zum Teil die Fesseln auf, deren sie sich
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。
im Reich der Form ganz und gar entledigt.
フリードリヒ・フォン・シラー
Friedrich von Schiller

「生命の躍動」を描く。シラーの詩の解説と意味
壁面に刻まれているのは、シラーの著作『美的人間教育について』から引用された一節です。ベートーヴェンの「第九」で知られる『歓喜に寄せて』とはまた別の、生命の本質を突いた言葉が選ばれています。
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詩の主な内容と意味
「樹々は、この溢れんばかりの過剰を 使うことも、享受することもなく自然に還すが、動物はこの溢れる養分を、自由で嬉々とした自らの運動に使用する。このように自然は、その初源から生命の無限の展開にむけての序曲を奏でている。物質としての束縛を少しずつ断ちきり やがて自らの姿を自由に変えていくのである。」
この詩は、単なる自然界の描写ではありません。植物が蓄えたエネルギーを、動物が「運動」へと変えていく。それは、物質的な制約から解放され、自由な意思を持って活動することへの賛歌です。
みなとみらいという、かつて海だった場所に人が集まり、新しい文化を創り出していくエネルギー。コスースはこの詩を通じて、この場所自体が「生命の無限の展開」の舞台であることを示唆しているのかもしれません。

なぜこの場所に?パブリックアートとしての「特徴」
この作品の最大の特徴は、その圧倒的なスケール感です。
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エスカレーターとの融合
みなとみらい駅からクイーンズスクエアへと登る長いエスカレーターに乗りながら、一文字ずつ詩を追っていくことができます。上昇する身体的な感覚と、詩の内容がシンクロし、日常から非日常へと引き上げられるような感覚を味わえます。
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空間を読み解く「設計」
コスースは、文字そのものをアートとする「コンセプチュアル・アート」の先駆者です。看板のように情報を伝えるのではなく、建築の一部として言葉を刻むことで、街そのものに思想を埋め込んでいるのです。
20代の感性には「言葉を纏う建築」として、50代の視点には「成熟した都市の教養」として。この詩は、訪れる人の人生経験によって異なる響き方をしてくれます。
立ち止まる贅沢。シラーの言葉を胸に歩き出す
みなとみらいのまち歩きは、ついつい目に見える華やかな景色ばかりを追いかけてしまいがちです。しかし、この地下から地上へと繋がる境界線でシラーの言葉に触れると、自分自身の「生命の運動」についても、ふと考えさせられます。
物質の束縛を断ち切り、自らの姿を自由に変えていく。
その言葉を胸にエスカレーターを降り立ち、海風に吹かれたとき、目の前に広がるいつもの横浜が、少しだけ新しく、自由な場所に感じられるはずです。
鉄道でのアクセス方法
シラーの詩碑(無限の境界線)がある「クイーンズスクエア横浜」へは、以下のアクセスが便利です。
| 移動手段 | 詳細 | 所要時間 |
| みなとみらい線 | 「みなとみらい駅」 下車。改札を出て「クイーンズスクエア方面」の長いエスカレーターへ。 | 徒歩すぐ |
| JR根岸線・地下鉄 | 「桜木町駅」 下車。動く歩道経由でランドマークタワーを抜けクイーンズスクエアへ。 | 徒歩約8〜10分 |
