祖父が創業した今野梱包を継ぎ、震災後に段ボールでつくった『ダンボルギーニ』で話題になった今野英樹さんにインタビュー。
今野梱包株式会社 代表取締役社長
1972年7月5日生まれ。宮城県立石巻高等学校を卒業後大学に行くことに疑問を抱き仙台市の経営専門学校へ。卒業後仙台市内の自動車ディーラーに就職。尊敬していた祖父の他界を機に地元に戻り、平成6年に祖父の興した自社に入社。平成22年2月に代表就任。「探さないものは見つからない。求めなければ掴めない。」を持論にいつも何かを探求している状態で、商品を購入してもまず見るのはその商品ではなく梱包・包装資材とその仕様という一種の職業病も健在。2015年12月『ダンボルギーニ』を世に出す。好きな言葉は祖父より受け継いだ『この道より我を生かす道なし この道を歩く』
宮城県石巻市で生まれ育ち、高校は進学校に進学するも大学へは進まず、仙台にある経営専門学校を選んだ。学校は楽しかったが、大学に行って何をするのかという疑問を抱きピントが合わなかったと語る。家業は祖父が創業した今野梱包という会社で、木製パレットを生産し大手製紙会社に納品していた。専門学校を出て、そのまま仙台に残り自動車ディーラーに就職して営業に就く。そこで営業成績トップとなるも成績と評価がかけ離れている現実と、同時期に尊敬していた祖父が他界してしまったことで地元に戻ることを決意した。
今野梱包に入社して4〜5年目くらいに、それまで安定していた売り上げが落ちてしまう。そこで1社だけに依存した経営は危険だと思った。この先も魅力のある仕事として受け継いでいけるのかという疑問も湧いてくる。そこで今野さんは毎週のように仙台市の図書館に通い出す。商工リサーチのデータベースで木材業界や取引先となり得る業界や企業について探し続けた。そうして何社か取引先を拡大していった。
1952年にトライウォールコンテナーズ社が開発した3層のダンボールのトライウォールは、日本国内でも70年代以降から産業用重量物梱包資材として活用されていた。そのトライウォール社を見学させてもらう機会があり、一目でビビッと来たと話す。当時はまだ東北に代理店がなかったため、それを見越して本社の隣接地にトライウォール製造用の工場を建てた。工場を作ると決めた段階ではまだ取引できるとは決まっていなかったが、見学した半年後に代理店をつくる方針が決まり、今野さんの元に打診があった。
2005年トライウォール事業部を立ち上げ、東北・北海道で唯一の正規代理店として取り扱いを開始。トライウォールの良さは軽量で堅牢の強化段ボールだ。人生を賭けた大勝負でもあった。それから営業を始めていくのだが、全然受注できない日々が続く。ある日、山形で工場改善のセミナーがあり、そこで事例発表してほしいと依頼があり、その参加者から新規の取引が出来た。その時、探さないものは見つけれない。求めないと手にすることができないと思ったという。
2006年にはCADとカッティングマシン、レーザー加工機を導入。それまでのBtoB(企業間取引)を続けながら、BtoC(消費者向け取引)への拡大を決めた。加工機を使って工作キットやアクセサリー、コースターなどノベルティ商品を作ったり、災害時に役立つものを開発できないかと考え出していった。避難所で使う間仕切りを強化段ボールで製作し、自治体に提案していった。
3代目社長に就任した翌年の2011年3月11日に東日本大震災が発生。ちょうどその日は石巻市で会議がある予定だったが、急遽キャンセルして東京の展示会に参加していた。そしてビックサイト内で震災に遭う。すぐには石巻市に帰ることはできなかったが浅草で一泊して、17時間かけて地元に戻った。何とか地元に戻ることができて沿岸部の取引先等の被災状況を確認しに行って、津波で会社も自宅も基礎以外すべて流れていた光景を見て、自分は生かされたと思ったという。震災後に、地元石巻市内の避難所にプライバシー保護用のパーティション2,000人分の製作と無償配布をした。続いて仙台市から依頼を受けて臨時教室の生徒用のロッカー等を製作した。
2015年、震災で暗くなった街を元気にしようと、工場にあった段ボールを使ってこんなすごいものが作れるというのを子どもたちに見せてあげようと思った。また震災で街の色も失ってしまったので、元気の出るピンク色と地元が桃生町だったこともあり、ピンク色の「ダンボルギーニ」を制作。約500のパーツを組み合わせて作った。まずは仙台市の夢メッセで始めて披露したが反応はイマイチだった。
次にあまり活用してなかったTwitterで、「ダンボルギーニ完成しております」とツイートをしたら、翌日に最大1万1,300件以上のリツイートがあった。勝手に作ったのでランボルギーニ社に怒られると覚悟していたそうだが、国内の正規ディーラーから応援したいと連絡があり、JR女川駅前の「シーパルピア女川」がオープンする際、自社ショップにダンボルギーニと、ディーラー協力のもと、本物のランボルギーニを展示し街の人にも喜んでもらった。
ものづくりで地域を明るくしたい。クリエイティブを地域を復興する。防災ジオラマの活動も行っていて、全国に広めていきたい。
2022年には、ある会社と一緒にコミュニーケーションツールとして、ユーザーにAPPを使い釣り具をデザインしてもらいファンを募り、ファンが集まったら製品化して販売できるプロジェクトが開始する。地域の関係人口を増やし、東北で働いてる人たちは人件費が安いと言われているが、そうした人たちの価値をもっと上げたい。次世代に魅力がある仕事を作っていきたい。
包丁研ぎ
走れ!ダンボルギーニ! !宮城県石巻“おもしろい復興”をめざすおだづもっこ<お調子者>たち
・女川のまちを案内します。 |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
女川から宮海の景色(ダンボルギーニの実車版レプリカを添えて)
箟岳山崑峰寺(こんぽうじ)
宮城県遠田郡涌谷町箟岳神楽岡1
今野梱包と同じ呼び名の神社
広島・厳島神社
奥飛騨
・山本美賢(ノクチ基地)
・上島洋(防災ジオラマ推進ネットワーク)
・高橋一(アグリサービス高勝)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
山本さんからの紹介でインタビュー。震災後のニュースやツイッターでダンボルギーニを見たことがあり、その今野さんにお話が聞けるということですごく楽しみにしていました。人懐っこさと熱いパッションを持ち合わせて、女川で会ってみたいとインタビュー後に思いました。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |