新潟市で伝統工芸「亀田縞」を使って、ファッションブランドを運営してる横山さん。新潟の伝統産業をアイデア、デザインで生き残れるようにしたいと意気込む。
新潟県生まれ。文化服装学院を卒業。Eatable of Many Ordersでアシスタントを経て2016年にtulipを設立。新潟市にアトリエ兼ショップを構え、企業の商品企画のデザインも行っている。
新潟の亀田に「亀田縞(かめだじま)」という手触りのいい藍(インディゴ)で織られた文様の織物がある。亀田といえば米菓で有名な亀田製菓が生まれた街で、米や梨、梅(藤五郎梅)などの農業と、米菓、ミシン部品が有名でもある。大正初期までは農業や工業にも肩を並べるほど織物業も盛んだったそうだ。日本最北の綿産地で生まれた「亀田縞」は、江戸時代から続いていたが、戦後の産業構造の変化によって一時期なくなっていたが、2002年に2件の織物工場が復活した。
その「亀田縞」を使って、ファッション性の高いデザインの服を作り、地元新潟から発信しようと立ち上がったおひとりだ。ものづくりが好きだったと言う横山さんは、高校時代に自作でカバンを作ったことがあるそうで、洋裁教室にも通っていた。高校卒業後は上京して、文化服装学院に進学。1年目はスタイリスト科に入学したが、ものづくりへの想いが強くなり2年目に転科。バッグを専門的に学んだ。卒業後は熱海にあるブランド「Eatable of Many Orders(エタブルオブメニーオーダーズ)」に就職。パリや東京などで革製品をつくって展示会を開いたりもした。そのブランド店を選んだのは、地方から東京などにどうやって発信しているのかを学びたかったそうだ。
2016年に新潟に戻る。地元に帰ってきたはいいが、人脈もなかった。そこで生産量が減ってしまった会社で後継者を育てている会社に相談しに行ってみると、『自分でやってみたらいいではないか』と言われた。いつかは自分で起こしたい気持ちもあり、その言葉を言われて決断する。素材を紹介してもらい、自分でデザインしたカバン、洋服をつくって、ブランドの立ち上げから3年目にアトリエ兼ショップを開業する。
亀田縞は、水気が多く湖のようなこの一帯で農作業を行う農民が、水と泥に強い綿織物を求め自作したことをきっかけに生産が始まった。野良着のために作られた織物なので丈夫なのが特徴だ。新潟では亀田縞について知ってる人はいるが、デザイン性のあるものはなく、20〜40代に着てみたいと思うようなものがなかった。そこで、外で着ていけるような普段着としてデザインをし、またファッションの楽しさを組み込んだ洋服を作った。また県外の人にはデザインを気に入ってもらっているそうだ。
最近は、一緒にプロダクトを作りたいとい話しも舞い込んでくるようになり、「亀とうさぎ」のブランド名で、横縞の生地を使ったハーフパンツと縦縞の生地を使ったパンツを開発や、自宅やアウトドアでも使えるようにと地元の料理研究家と一緒にエプロンも開発など、新しい商品も生み出し続けている。
新潟の産業をアイデア、デザインで生き残れるようにしたい。ODMで一緒に開発し残していきたい。地元に帰った時はファッションデザイナーがいなかったので、自分が地元発信のモデルとなっていきたい。
料理
公式サイト TULIP EN MENSEN
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秋葉山
新潟県新潟市秋葉区
銀座ソニーパーク
東京都中央区銀座5-3-1
公式サイト
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・亀山春花(hickory03travelers)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
知人からの紹介で知り合った横山さん。温厚でゆったりとした言葉で語ってくれて、その奥底には地元を愛して地元から全国に発信したいと言う想いが伝わってきました。亀田縞という全国的には知名度はあまりないかもしれませんが、近い将来には誰もが知るブランドとなることを信じてます。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |