高校卒業後から料理人の道に進み、良品計画で食品部門に携わりながら、地元大分の家庭料理「すりみいなり」の普及活動に取り組む松木健太郎さんにインタビュー。
1983年生まれ 大分県佐伯市出身
高校卒業後料理の道に進み上京。都心での生活の中で田舎の自然の恵を再認識し、地元の魚や田舎の食文化を広めることをしたいと、ONEGOOD株式会社を創業。《すりみいなり》という地元の郷土料理を広める活動を通し、地域経済の発展に貢献したい。
経歴
・都内老舗洋食屋にてコックとして修行 (2002年〜2008年)
・福岡にてフレンチレストラン、イタリアンレストランにて、シェフ、フロアマネージャー支配人業務に従事(2009年〜2011年)
・大分の水産会社運営の和食屋にて板前、事業部統括に従事(2012年〜2016)
・東京にてブライダル事業やイベント事業を運営する会社にて執行役員として従事
・無印良品を運営する株式会社良品計画にてMUJI HOTEL銀座、café&meal MUJIホテルメトロポリタン鎌倉の立ち上げを担当後、現在は本社にて食品部門新事業開発を担当
・(株)良品計画に従事しながら2021年3月3日ONEGOOD株式会社を創業
大分県佐伯市で生まれ育ち、学生時代は野球をやっていて高校は宮崎県の延岡学園に進学し、寮生活を送りながら野球部で汗を流した。同級生の神内靖選手がドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスに入団が決まるなど強豪校でもあった。延岡学園には調理師学科があり松木さんは高校時代に調理師免許も取得して卒業した。就職先は東京のつばめグリル。そこで料理の基礎を学びながら6年間勤め、最後は料理長まで務めた。
佐伯市蒲江町(かまえちょう)という集落の2か所だけでしか食べられていない家庭料理「すりみいなり」がある。いなりの皮がお魚のすり身で作られていて、魚のすりみを油で揚げた後、和風だしで甘辛く煮込み、その中に酢飯を詰めたものだ。蒲江の漁村で生まれたいなり寿司で、大分県内や佐伯市内でも知っている人があまりいない。エソという魚をすりみにし、天ぷらにして食べる習慣は市内でも多いそうだが、いなりは珍しいという。
小さな漁村で生まれた料理だが、人口減少と共にすりみいなり用の皮を加工する人がいなくなっている。現在も1人だけしかいらっしゃらない。そうした郷土料理を絶やさず、地元産業として活性化と文化継承を目的に、普及活動を松木さんが始めた。毎月1回のイベントとして神奈川県内や東京都内で開催している。ぷりぷりした食感が好評で、本来は処分するすり身を再利用するという観点から食育として、子どもたちにも伝えている。
21年からは、このすりみいなりの普及活動の他、食品ロスをなくし環境に配慮した商品開発やLGBTQ 専門のプロポーズ支援事業などを仲間らと一緒に「ONEGOOD株式会社」を立ち上げた。
すりみいなりの事業を大きくして、地元に還元していきたい。
魚をどうやったら広まるのか常に考えている。
Facebookページ すりみいなり
・すりみいなりの作り方を教えます |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
みなとみらい
神奈川県横浜市西区
蒲江町の高平キャンプ場から見た景色
大分県佐伯市蒲江大字竹野浦河内2156-171
・横山寛(ニュー公民館TSUJIDO)
・みなみなおこ(nalu )
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
横山さんからの紹介でインタビュー。すりみいなりは初めて聞きました。是非一度食べてみたいです。また福岡市にもいらっしゃったとのことで福岡の話、もつ鍋のルーツの話でも盛り上がりました。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |