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【埼玉】笛木正司(笛木醤油)

1789年(寛政元年)創業の笛木醤油の12代目吉五郎に就任した笛木正司さん。しょうゆパーク、木桶バウムなど新しいアイディアで地域に根ざした醤油メーカーを目指す。

プロフィール

1980年生まれ、1789年寛政元年創業醤油蔵12代目当主・代表取締役社長。川越青年会議所第55代理事長。日本青年会議所埼玉ブロック協議会第50代会長 、川越高校サッカー部主将、明治大学商学部、The George Washington University留学

海外への思い

1789年(寛政元年)創業、12代目当主を務める笛木正司さん。小学生の頃から大学時代までサッカーをして来て、いつかサッカー選手になりたいとい夢も描いていた。高校生の時にブラジルのサッカースクールに行く機会があり、そこで現地の子どもたちが貧しい環境の中で生活しているのが強く印象深かったと言う。自分に物乞いしてくる子どももいれば、段ボールのような紙を膝当てに使ってサッカーしていたり、ボロボロになったサッカーボールを使っていたり、その環境の違いからハングリーさ感じ、自分自身がこれまで生温い環境で育って来たことを知ったと言う。

高校3年生の時、笛木醤油11代目当主で父・豊彦が、急性白血病の病で倒れてしまう。ちょうど前年に社長になったばかりで直系の長男のみが襲名されるという吉五郎になって1年もたたずに急逝する。享年51歳と言う若さだった。余命3ヶ月。亡くなる前に家族旅行をし、父と風呂に入った思い出が残っているが、当時は恥ずかしくて背中を流してあげることができなかった。あの時流してあげていればと、親孝行できなかったことをを今でも悔やんでいる。当時は継ぐ意思をもってなかったため、明治大学に進学。叔父が中継ぎとして社長を務めた。

笛木醤油12代目へ

ブラジルで見た体験もあり国策協力など世界を舞台にした仕事をしたいと思っていた。アメリカのジョージワシントン大学に留学。そこでルームメイトの友人が夏休みでロサンゼルスに帰って時、日本食スーパーで金笛しょうゆを見つけて教えてくれた。その時お前のミッションはこれじゃないのかと言われたのを鮮明に覚えている。実は海外に輸出してたとは知らなかったのだ。今では北米、アジア、フランスなど9カ国に輸出している主力商品だった。そこで自分がやるべきことをだと気づいたという。

世界中にしょうゆの美味しさを広めることを夢見ていた父の想いに触れ、すぐに母親に連絡をして家業を注ぐ決心をした。そして2006年に入社、大豆や小麦の原料処理、醤油造りの根幹の麹づくりやもろみの管理を現場で学び、トラックでの商品の配送、ギフト商品の包装、営業など様々な部署で経験を積んだ。2017年には叔父が逝去して、37歳で社長に就任する。翌年に半世紀ぶりに新調した新桶に仕込んだクラフト醤油「新桶 初しぼり」の完成をさせて12代目 吉五郎(きちごろう)を襲名する。

金笛しょうゆパーク開業

しょうゆ作りはそう容易い事ではない。しょうゆは生き物であり、微生物に託して発酵を促し作る。とても繊細で温度管理も大変だ。そうした微生物と向き合う様子は、子どもと接するような感じだと話す。日本のしょうゆは1973年が出荷量のピークで、現在はその半分にまで落ち込んでいる。食生活の変化によって家庭で料理する機会も減り、使用頻度も減少した。そんな状況下であっても醤油メーカーが情報発信をしてることもあまりなく、製造現場の見学といった他の業種であるような事もやってなかった。

もの消費からこと消費に移り変わって来たことを感じていた時、先代の父が残したノートを見つける。そこには「これからは醤油が下火になるから、魅力を伝えないといけない」と書いてあった。それを見て工場見学ができる施設を作って、学ぶ・食べる・買う・楽しめるオープンファクトリーを目指そうと考えた。しかし周囲からは反対され、土日はどうするんだ。お客さんは集まるのかと様々な意見が出た。時同じくして近隣では圏央道が開通し、都心などから1時間でアクセスできる立地であった事から、創業230周年記念事業として「金笛しょうゆパーク」を2019年11月に開業した。現在までには5万人の来場者を数え、工場見学も2万人に達した。

木桶バウムのヒット

しょうゆの可能性を広げる新しいチャレンジとして、地元の特産物を使ったお土産を作ると言う構想も父のノートに残っていた。地元川島町の卵・いちごといった特産物を活用したスイーツの製造販売もスタート。それが「木桶(きおけ)バウム」だ。プレーン、しょうゆ、いちごの3種類と、富の川越芋、さつまいも、発酵バター、生クリーム、アーモンドプードルを混ぜ合わせたプレミアムハードバウムのラインナップを揃えている。20年4月に本社敷地内に「木桶バウム工房」をオープンし来店頻度をあげることに成功した。

これからどうしていきたい

自分自身がしょうゆになりたい。しょうゆは300年近く生き残ってる。素材、料理の味を引き出し、郷土の味を守ってる、地域とも繋がりがある。それを活かすことが大事で、働いてる従業員の力を活かし、日本一笑顔を作る醤油メーカーになりたい。

働いてる人、地域の人も笑顔にするおもしろい工場見学をしたい。しょうゆの魅力を楽しく、わかりやすく伝えていき、この地域に醤油蔵があってよかったと思ってもらえるような会社になりたい。

パッションポイント

子育て

公式サイト、出版物など

笛木醤油

金笛しょうゆパーク

チケット(私のできること、得意なこと)

人を繋げます
・醤油の使い方教えます

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

川越の蔵造りの町並み
埼玉県川越市

COEDOビール本社工場
埼玉県東松山市大谷1352
公式サイト

川越高校
埼玉県川越市郭町2-6

お気に入りの場所(アウェイ)

ワシントンD.C.

ブラジル

金沢

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つながり

朝霧重治(COEDOビール)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

知人を介して紹介していただきインタビュー。もともとはサッカー選手を夢見てたそうですが、家業を継いでからはしょうゆへの熱い思いと愛の深さを感じるインタビューでした。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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