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【静岡】小林めぐみ(CLUB HUBlic)

リクルートキャリア、ソフトバンクを経て独立。熱海でコーチングとシェアオフィスを運営し、地域に根ざした人材育成に取り組んでる小林さんにインタビュー。

プロフィール

1975年大阪生まれ、1996年青山学院女子短期大学 児童教育学科を卒業。国家資格キャリアコンサルタント。熱海でHUBlic合同会社を2017年から経営している。

人材紹介会社でのアルバイト経験が転機に

1975年に大阪府高槻市で生まれ、父親が銀行員で転勤族だったので、東京や千葉県佐倉市などで過ごした。3歳からピアノを始め、将来は学校の先生になりたいと思っていた。短大にいっていた頃は、就職氷河期で就職するのも厳しい時代だった。音楽は小さい頃から続けていたので、青山学院女子短大を卒業して、プロのエレクトーン奏者になりたくて専門学校へ進学をする。専門学校へ行きたいと親に話すと初めは反対されたそうだが、説得して進学。YAMAHAでレッスンを受けながら、コンクールを受けたりグレード(音楽の総合力や指導力を評価する検定制度)を取得した。それでもエレクトーンだけでは仕事にならず、生命保険会社の営業、やリクルートエイブリック(現・リクルートキャリア)でアルバイトをしていた。

リクルートエイブリックでの仕事は楽しかった。やったらやった分だけの評価をされ、どんどん昇格して行った。社内での存在感も増していき、トップセールマンの営業サポートもやった。その頃、サイバーエージェントが上場を果たし、採用セミナーを開催した時、社長の藤田さんを会場で見かけた。自分とほぼ同世代にも関わらず、若い年齢で社長をやり上場も果たしてる姿がすごいと思った。逆に自分はこのままで大丈夫なのかと心配になったという。すぐに上司に相談をし、ソフトバンクに転職して正社員となった。

パラソル部隊の教育を担当

ソフトバンクでは、コマース部門の人事の仕事に就き、Yahoo!BBが総力を上げて全国で展開した「パラソル部隊」の立ち上げと代理店の採用・教育を担当した。幕張メッセに1000人近いスタッフ研修をやったこともあったそうだ。「パラソル部隊」は駅前や街頭でADSLモデムを配布するという販促キャンペーンで、この戦略によって一気に加入契約者数を獲得し、事業を拡大に成功していった。社風のような文化はリクルートもソフトバンクも似てるが、カルチャーではソフトバンクの方が好きだと話す。わいわいしたリクルートの職場より、黙々と仕事をするソフトバンクの環境の方が好きらしい。

ソフトバンクに勤めていた時、リクルート時代に出会ったトップセールスマンの上司が職場に復帰して、ソフトバンク担当として再会した。そこで小林さんに戻ってこないかと口説かれ、再びリクルートキャリアに戻った。しかし、やりたいことが自由にできず、その後、リクルートに出戻りするも、もっとコンサルティングに近いことをしたいと考えるようになり、アクセンチュア出身の方が起業した会社へ転職。そこでキャリア系の研修や人脈をつくって、キャリアコンサルティングの資格をとり、32歳で独立した。

伊東で震災を体験する

社会課題はなにか。もともと学校の先生になりたかったということもあり、教育に関心があった。例えば世界平和に必要なものは何かと考えた時、答えは教育だと思い、人が恵まれる環境で、自立や人材育成をしたいと思った。当時結婚していた旦那さんが転職をし、伊豆高原で仕事をすることになったのを機に伊東市に引っ越した。しかし地域に知り合いがいないので、家の中で引きこもって毎日酒を飲む生活を3ヶ月間くらい過ごした。このままではダメだと思い、地域の人たちが集まっているカフェで、アルバイトをしながら、フリーランスのキャリアカウンセラーとしても活動をしていた。

東日本大地震が発生した年、伊豆半島も地震被害に遭ってすごく恐怖に感じたという。震災の影響で観光客は9割減。まわりにいた観光業の人たちも次々と離れていった。そんな中、自分は地域に関わっていこうと決意する。それから積極的にコミュニティに参加し出して、伊東市内でコミュニティスペースを作る。地域の方との関わりを深め、ライブラリーを設置したり、ワークショップを開催したり、ママたちや観光業界の方たちとの対話会も企画した。ここでの経験が後に熱海でも作るシェアオフィスへと繋がっていく。

熱海へ移住し、シェアオフィス開業

震災後、なかなか行政が動いてくれないという歯痒さがあった。そんな時、熱海市で創業支援プログラムがあるという話を知人から教えてもらった。なぜか熱海はすごい熱量で盛り上がっていたのだ。しかし小林さんはすでに独立していたので、知り合いの方に創業支援プログラムを薦め、自分も一緒に参加させてもらった。熱海の取り組みを学んで、伊東に持ってこれないか考えたいと思っていたからだ。

2017年に開催されたリノベーションスクールに参加。そこでフリーランスから会社を作ることを決める。そして2018年に熱海に惚れ込んで移住をした。熱海でもまちづくりに関わり始め、シェアオフィス『 CLUB HUBlic 』を開業。CLUBという名前にしたのは、会員制のコミュニティとして、体育会系の部活のイメージと、熱海の夜のクラブを掛け合わせたようなイメージだそうだ。部活のように、自分の事業を磨き上げたり、スキルアップという共通目的を持つ人たちであり、夜のCLUBのように、ほっと一息つきながら、話を聞いてもらったり、癒されたり、情報交換したりできるという。

ただのワークスペースではなく、「学び合う」環境。教えることもまた学びであるし、そして学ぶだけではなく実践につなげていくためのインキュベーションの場だ。地域の人にもコーチングをしよう。課題は何か、コロナ禍で雇用調整助成金をもらい、融資を金利なしで受け運転資金などお金はあるものの、社員の成長が止まってしまっている企業の課題を解決しようと、21年2月にクラウドファンディングに挑戦をした。熱海の若者に「スキルアップ講座」をプレゼントしようと呼びかけた。すると249人の支援者と339万円が集まった。コロナ禍を生き抜く若者の力を養うために、若者の研修費を集めた。

地元企業も人材育成モードになって、スキルアップを目指している。熱海はインバウンド需要よりも国内からの旅行者や地域内での経済で回ってきた。仮に観光客が戻って来たとしても、働く人たちの所得が上がっていかないという課題を抱えていて、その構造をどう変えていくか。移住して来た人たちと共に成長できるようにしていきたいと意気込んでいる。各地域からの視察も多いし、今後は多様なコミュニティのマネジメントができるリーダーの育成も必要だ。

これからどうしていきたい

キャリアコンサルタントとして独立し、いろいろ思うことがある。働くことで心や体を壊してしまう人や、うつ病で休職したり、仕事が楽しいと思う自分と、つらいと思う人との違いは何か。会社に依存せずに自律することだと気づいた。自分自身は会社以外にもメンターがいたことで救われた。

子どもたちに、この世界には希望があることを伝えたい。未来に可能性を感じてほしい。そのためには、まず大人自身が自律できること、自分の意思で生きていける社会をつくりたい。この地域から実現したい。キャリア自律支援が自分のミッションだと思っている。

パッションポイント

MISIAライブ参戦、甥と姪の成長

公式サイト、出版物など

HUBlic

CLUB HUBlic

チケット(私のできること、得意なこと)

・熱海銀座のまち案内します。
・シェアオフィスのドロップイン利用(仮入部)で、キャリア相談無料で承ります。

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

伊豆山からの風景

CLUB HUBlic
静岡県熱海市銀座町10−19
公式サイト

お気に入りの場所(アウェイ)

河口湖ステラシアター
山梨県南都留郡富士河口湖町船津5577
公式サイト

ブルーノート東京
東京都港区南青山6丁目3−16
公式サイト

【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!

つながり

中屋香織( Atami Stayle )

岡島由夏 (ハンドメイド作家に会える店ふわいえ)

稲岡麻琴(ダイロクキッチン)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

中屋さんからの紹介でインタビュー。取材日は20年7月3日で太平洋側の地域で大雨が続き、熱海では土石流が発生した日でした。そんな大変な状況下での取材でした。その後無事を確認できて良かったですが、同地域内で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
野田国広の記事一覧