有名クイズ番組に何度も出場をし、地元で市議会議員にも選出。空き家でクイズ民宿を新たにスタートさせた山﨑光男さんにインタビュー。
1968年新潟県生まれ
全国初のクイズ民宿「米納津の碧い風」、前燕市議会議員(2014〜2018年)、リレー・フォー・ライフ・ジャパンにいがた実行委員(2015年〜)、野菜ソムリエコミュニティ新潟役員(2016年〜)、新潟・ハルビン友好市民の会会長(2020年〜)
1978年の10歳当時、人気番組だった「アメリカ横断ウルトラクイズ」を観て一瞬でクイズの虜となり、それ以来クイズ関係の書籍を集めだし、現在までに400冊以上収集したという山﨑光男さん。高校時代には「高校生クイズ」に5回出場。地元の高校を卒業してからは上京し、新聞奨学生で新聞配達などをしながら外国語専門学校に通い、劇団にも入って演劇活動にも励んだ。英語はすでに英検2級を持っていたそうで、英語専攻から中国語専攻に途中で学び変えたこともあるそうだ。その経験もあって現在は新潟・ハルビン友好市民の会の会長まで務めている。
東京にいた頃はとにかくいろんなアルバイトを経験しながら、「ウルトラクイズ」に7回出場した。結果は残念ながら本選までは進めなかったそうだが、日本からハワイ、アメリカ西海岸に渡って東海岸のニューヨークまで横断しながらクイズで勝ち進んでいくという番組は、何度も挑戦したくなるほど熱中していた。30代、弁当配達や運送の仕事の時は正社員。30代後半で新潟に戻ってきた頃、ご当地検定ブームが全国的に巻き起こり、クイズ好きな山崎さんの気持ちが再び燃えた。ニイガタ検定を始め新潟県内12箇所すべての検定を制覇する。
46歳になる時、燕市議選があって知り合いの国会議員さんが、山﨑さんに市議会議員になってみないかと推してくれた。膨大な知識を持ってるのなら、それを活かしてみないかということだった。長年フリーターや派遣社員などが続いてきて、人生も見失いかけていた頃でもあったので、人生を変えたいと決意。立候補し市議選に挑戦する。すると25人候補者がいるうちの19番目で当選。2018年までの任期を全うした。2期目は出馬せずに国会議員の秘書として活動をした。
燕市米納津(よのうづ)という地域にあった空き家を知人に紹介してもらい、そこを2020年末に購入。クイズの図書館、民泊ができる部屋も用意し、「クイズの日」とも言われる2021年9月12日に「クイズの駅 ゲストハウス 米納津の碧い風」をオープンした。
開業前日には「まちの駅」にも認定された。11日のプレオープンのイベントでは、「プロギング」と呼ばれるゴミ拾いランの体験会を開催した。プロギングは、2016年にストックホルム出身の複合アスリート、エリック・アルストロムが発案された、スウェーデン語で「拾う」という意味の「plocka upp」と英語のジョギング(jogging)を組み合わせたもので、「ゴミ拾いをしながらジョギング(ランニング)」するスポーツだ。
オープニングイベントでは、他にもカレーを振る舞って交流する「おつカレー」やジャズライブ、移動式サウナなども行なった。新しく始めたゲストハウスだが、サークルのクイズ合宿などができるゲストハウスを目指してるそうだ。また、燕市の交流・応援人口の増加や、関係人口の創出・拡大につなげたいと語った。
クイズ合宿もできるような場所にし、全国のクイズファンの「クイズの聖地」になれるよう頑張りたい。
クイズ
Twitter (@quiz_minshuku)クイズ民宿 クイズの駅 ゲストハウス 米納津の碧い風
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大河津分水
富山の立山の風景
・三浦大輔(NEMARU Stay&Discovery)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
三浦さんからの紹介でインタビュー。同年代で演劇もやってたということでどこか私自身にも重なって見える山﨑さん。いろんな取り組みが多く、割と絞り込んでのインタビューでしたが、きっとまだ収まりきれず見えてない部分も多いのでしょうから、またいつかお話を聞けたらと思います。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |