100人、100通りの人生とまちの風景、キーパーソンに会いに行こう

【京都】大前直子(藍染作家)

16歳単身で渡米しアメリカでアートを学んでいた時に染色に出会う。その後京都にUターンして天然の藍染作家になった大前直子さん。

プロフィール

16歳の誕生日に単身でカルフォルニアに渡米。17歳でARTの世界に魅了され、水彩画、油絵、デッサン、デザイン画を学び、最終的に染色に辿り着く。大学時代に化学染料に疑問を持ちながら使っていた時に、藍染作家の新道弘之氏の映像を見て天然の藍染を志すことを決意し、13年間のアメリカ生活にピリオドをうち帰国。帰国後はかやぶき集落内にある「ちいさな藍美術館」の新道弘之氏を師匠に仰ぐ。

結婚後、夫と田舎暮らしの拠点として美山町へ移住。季節の循環の中に身を置くこと、原点回帰、地球、世界と共に歩む営みを日々探求しながら、かやぶきの里にて夫と共にOWという屋号で天然の藍染の色々なアイテムを制作している。

アメリカで染色を学び始める

京都府木津川市で生まれて、英語を話せるようになりたいと言う願いから、16歳単身でカリフォルニア州に渡った。渡米して友達をたくさん作りたいと思っていたが、なかなか友達ができなかった。学校で楽しそうにしているグループがいて、その子たちはアート系の生徒で、アートの先生にアプローチをしたら、何か絵を描いてきて見せてくれと言われた。そして絵を持参し認められてアート系のクラスに入った。それ以降は友達もでき、自分の表現をアートでコミュニケーションすることを覚えた。

アメリカの大学にも進み、3年の時に染色を学んだ。絵を描いてきたのだが、絵を飾って見てもらうだけでは面白くないと思うようになってきていた時に染色と出会い、飾ったり、身に纏うこともできて生活に溶け込めると感じた。アメリカでは化学染料のテキスタイルが主流で、シンクに残った染料を流すのを見て、地球を汚していると思った。その頃、日本のテキスタイルを紹介するビデオを見ていたら、藍染作家の新道弘之氏が出ていた。防護マスクとビニール手袋をすることなく作業している様子を見て、自然と涙がでた。

京都にUターン、藍染修行へ

大学の恩師が、新道先生とも友達だったということもあり紹介してくれた。その後京都にUターンして、新道先生に弟子入りを申し出たが、この時代に化学や天然と言っても誰も見分けつかないし、稼ぐこともできず責任持てないのでと1年半断られ続けた。何度も通うほど諦めきれず、徳島県で藍染用に大谷焼の甕を2つ購入し、再度先生の元に行くと、その行動に呆れたのか藍を建てる行程を教えて頂けることに漕ぎつけた。

その後、美山町のかやぶきの里にご縁があり引越し、新道先生のお膝元で学び続け10年の修行期間を経て、自身で藍染作家としての道を歩み始めた。屋号の「OW」はOne Worldという意味だそうだ。藍を染めるには温度が大切で、16〜26度くらいが菌が元気で、それ以下だと菌が寝てしまいうまく色が出ないという。そのため冬場は休んで、デザインを考えたりしている。

これからどうしていきたい

出来ることでコツコツと、天然の良さを広げていいきたい。いつか学生時代に過ごしたアメリカで個展したい。

パッションポイント

植物、野菜の生育を見る

公式サイト、出版物など

Instagram(@ow_indigo) Naoko Kamimura Omae

チケット(私のできること、得意なこと)

・藍染を、かめのコンディションをみて体験できます。

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

かやぶきの里

お気に入りの場所(アウェイ)

サンフランシスコ

つながり

外山雷花(雷々軒)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

外山雷花さんからの紹介。見るも美しい藍を手染めで作られている作家さんで、作品は店舗ではなく家の桐棚で保管してあるそうで、繊細さを改めて感じました。直子さんの作品を手にしてみたいです。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
野田国広の記事一覧