京都の山間地域京北の築150年の家へ家族で移住し、地域の食材をつかったごはんを提供する外山雷花さん。
1985年 東京生まれ
2001年 高校の夏休みに小笠原諸島を訪れて海と田舎の暮らしを知る
2010年 小笠原父島、沖縄阿嘉島、新潟粟島などで田舎の暮らを重ね、24歳でフリーランスカメラマンの夫と結婚
2020年 「手応えのある暮らし方」を模索しながら京都の山間地域京北の築150年の家へ家族で移住
2021年 地域の季節の食材や繋がりを深めるために強くやさしいごはん屋さん、雷来軒を始める
東京都世田谷区で生まれ育ち、高校まで過ごした。高校1年の頃に兄が小笠原諸島に連れていってくれて、都心で育ってきたので、心地よくて自分に合ってると思った。それから夏休みになる度に島に行き、ダイビングを楽しんだ。海がある場所で生きていくことが自分らしい生き方だと思えた。東京の暮らしが窮屈に感じ、都会じゃない暮らしを求めるようになっていく。高校を卒業してからはダイビングのインストラクターなど海に関する仕事に就いた。一方で海での仕事は死との隣り合わせでもありリスクも感じて、居酒屋など他の仕事もやった。
20歳になる頃、自分へのご褒美としてバックパッカーで南米に旅することにした。マチュピチュを目指し、そこで後に結婚するカメラマンの主人と出会い、24歳で結婚した。それから10年間は専業主婦として、カメラマンとして活動する旦那さんを支えながら東京で暮らしていた。
ずっと移住を考えていたものの、子どもが産まれなかなか都内を出られなくなっていたが、小学生になる前に東京から出ようと考えた。かつて1人旅で訪問したことがある京都の伊根町に向かう途中で立ち寄った京北の古民家宿に、昔ながらのかまどや五右衛門風呂、囲炉裏があり、子どもたちが喜び、ご主人もその町に惚れ込んだこともあり、2019年に移住を決めた。
築150年の古民家で里山暮らしをスタートした。まずは地域とつながり友だちを増やしていかないといけない。地域にある季節の野菜をつかった料理を作っていると、次第にイベントなどで料理を作ってほしいという依頼が増えていった。以前、東京に住んでいた頃にママ友に料理を振る舞っていた時、友人から「雷来軒」って名付けられた。稲妻は稲の妻と書き、豊作になるという逸話があると教えてもらった。田を豊穣するように、食で豊か何する存在。みんなの胃袋に響いていることから、その名前をつけることにした。
今暮らしている古民家は飲食店の認可は取ったものの、家族の暮らしがある中での営業は難しく、基本的には依頼されたら弁当、ケータリングのみの注文を受け付けており、根底には好きな人に美味いものを食べさせたいとの想いがある。雷花さんの料理に惚れ込む方が多数いるが、実は料理を習ったことはないそうで、むかし鯖寿司を作っているお店で、出汁の取り方を見たことがあり、それを覚えていたのが基盤になっているそうだ。
京都で暮らし始めて1年。電気がない時代に作られた家に住んでる。蔵や納屋にむかしの道具が残ってる。便利にとらわれない暮らしをしたい。昔の良かったもの(むかしの暮らし方)を取り戻したい。
今とは違う昔ながらの雨戸の使い方を近所のおばあちゃんに教わった。雨戸をうまく使えばカビが生えない。そうした知恵や地域の魅力を、ごはんを通じて伝えていきたい。
料理(好きな人に作る料理)
Instagram (@rairai__ken)raica toyama
・むかしの暮らしの豊かさを教えます。 |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
自宅
粟島(新潟)
新潟県岩船郡粟島浦村
観光協会サイト
25歳の頃から仲良くなった漁師の素潜り漁の手伝いをするようになり日本の漁村の魅力に惚れ込んでいる。
・安井千恵(はまちえ農園)
・大前直子(藍染作家)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
安井さんからの紹介でインタビュー。ただただ格好いい。そしてご主人が撮った写真も素敵で果てしなくオシャレで格好いい。雷花さんのごはん食べてみたいです。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |