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【北海道】熊倉聖子(NPO法人場とつながりラボ home’s vi)

舞台芸術プロデューサーとして活躍していた時、ダブルケアに直面し、それ以降は場づくりなどの活動に軸足を移していった熊倉聖子さんにインタビュー。

プロフィール

1978 年札幌生まれ・函館・美瑛そだち。
東京女子大学卒業後、
NPO 法人アート・ネットワーク・ジャパンに所属。東京国際芸術祭(元 F/T )の海外カンパニー招聘や国際交流・教育普及事業、公共劇場の指定管理運営等に従事。

出産と介護を機に退職。鎌倉・京都に移住し、青空自主保育や多世代の居場所づくり、Impact Hub Kyoto の立ち上げ等に参画。2011 年国連認証プログラム EDEEco village Design Education )修了。PCCJ パーマカルチャーデザインコース参加。

2018 年より NPO 法人場とつながりラボ home’s vi にてバックオフィスの IT 化やティール組織・ホラクラシーの実践を行う。2019 年より Slow Food Nippon の運営に携わり食文化の継承や食育事業のファシリテーターとして活動。2021 年からは北海道美瑛町と共に関係人口創出事業に取り組む。3 児の母。

アートマネジメントとしてのキャリアスタート

北海道の美瑛に「ケンとメリーの木」がある。私有地の丘陵地帯に立つ1本のポプラの木で、70年代に日産スカイラインのCM「ケンとメリーのスカイライン」で撮影されて以降観光スポットとなった場所だ。この木は熊倉さんのおじいさんが植えた木だそうだ。熊倉さんは小さい頃から舞台鑑賞が好きで、よく劇団四季のキャッツを観ていた。言葉では表現できたいことを音楽や歌などで表現できて感動も与えるということに大きな影響を受けて育った。中学高校時代には地下鉄サリン事件や911など世界を震撼させる大きな事件が発生。

政治で扱えない事柄、人の繋がり、人と人がわかり合うというテーマに関心があったと語る。人の感性を通じてつながりが出来ないか。そんなことを考えていた。ある日、函館の本屋さんでアートマネジメントについて紹介していた本を見つけ、そういう仕事があることを初めて知り、大学進学で上京した。

卒業して初めての仕事はNPO法人アートネットワークジャパン。舞台芸術や国内外における文化交流の促進に取り組でいる団体だった。そこではアーティストを高校や大学に派遣して芸術を通してコミュニケーションを活性化させるプログラムや、アートで社会課題に取り組む NPO の調査に取組み、全国アート NPO フォーラムの発足などに携わった。ほかにも東京国際芸術祭の招聘事業を担当するなど、当時は緊張状態にあったパレスチナのアーティストと日本の高校生を交流させるプログラムを実施したり、海外のフェスティバルに参加して劇団をリサーチしたり、川崎市の新百合ヶ丘にあるアートセンターの立ち上げにも関わった。

写真・アルカサバシアター(パレスチナ)「Alive from Palestine

ダブルケアの問題に直面

結婚をし妊娠出産を迎える時、大きな転機があった。義理の父親が認知症となり、介護が必要となったのだ。しかも切迫早産にもなり絶対安静を余儀なくされ、仕事を辞めることになった。2011年には東日本大震災が起き、認知症がさらに進行して、介護と育児をしなければいけないダブルケア状態になる。当時はまだダブルケアという言葉さえも一般的ではなく、相談できる場所もなかった。介護も子育ても別々の行政窓口だった。

家の机の上に、赤ちゃん用品のカタログと介護用品のカタログがあって。育児の可愛らしい用品と介護用品はデザインも寂しく、いのちの始まりは祝福され、最後を迎えることには辛さと大変さしかないと感じた。家にいるとお義父さんも子どもも一緒に遊ぶのに、子育てサークルや介護施設は別々に分断されている。そんな疲弊した状況に孤独と限界を感じていた。

「おおきなかぞく」の発足

そんな中、国連が進める「持続可能な教育」のための「エコビレッジ・デザイン・エデュケーション」に参加する機会があった。「オープンスペース・テクノロジー」という手法を用いたワークショップを、初めて体験した。「オープンスペース・テクノロジー」とは、参加者自らが話したいテーマを提案し、その話に興味のある人が集まって自由に対話し合うワークショップ手法で、熊倉さんは「介護と子育て」というテーマを提案してみた。すると、そのテーマに共感してくれる人たちが集まり、いろんな想いや意見を出してくれた。

1人で家族の問題を抱えるのは大変だが、家族同士が集まってワークショップで解決できることもあると思った。そこで場づくりの面白さに気づく。1人では解決できないけど対話することで解決できる。場の力を感じた。その後お義父さんは老人ホームに入所することになり、専門家の力を借りることも大事だと学んだ。おじいちゃん、おばあちゃん、母親たちが参加して介護予防や子育てなど相談できる場として「おおきなかぞく」を立ち上げた。陶芸教室で器を作り、それを使ってみんなでご飯を食べたり交流が深まっていった。

「ありのまま」を活かし合う、美瑛町での挑戦

2014年、京都に引っ越し、コミュニティ型コワーキングスペースの先駆け的な取組みでもある「 Impact Hub Kyoto 」の立ち上げに参加した。そこで home’s vi 代表の嘉村賢州さんに出会い、一緒に活動することになった。home’s vi では「ティール組織」に関する学びを通して、仕事や生活で、“自分のありのまま” を受け容れて、仲間や家族とお互いを活かし合う関係性や組織づくりができるのかを探求している。

2021年より、ルーツのある北海道・美瑛町と一緒に「コワーケーションビレッジ」事業に取り組む。まちの“なかの人”と “そとの人“が、出会い・学び合い・深め合えるような場づくりに取り組む予定だ。home’s viが大切にしてきた、“ありのまま”のお互いを信頼し、応援し合えるコミュニティづくりをベースに、町の“なかの人”と“そとの人”たちが一緒になって、新しい「何か」を生み出せるようなチャレンジをしていきたいと語る。ほかにも、「おいしい・きれい・ただしい」をモットーに世界的に持続可能な食文化の保全と継承活動に取り組むSlow Food Nipponの運営に携わり、食育ワークショップ等のファシリテーターとしても活動している。

これからどうしていきたい

これまでの、アートマネジメントやダブルケア、ティール組織やスローフードなどの学びと経験、そして、母として女性として人として、くらしと仕事の間で日々感じてきたことを、同じように悩み壁に立ち向かおうとしている人たちと分かち合い、新しい「何か」を共に生み出すことができれば。先人たちが自然と向き合ってきた北海道・美瑛町が、これからの共創の舞台となって、次世代の子どもたちに美しい「何か」を伝えていくことができれば。そのための橋渡し役を務めていきたい。

パッションポイント

茶道の稽古、旅と出会い、おいしいものを囲むこと

チケット(私のできること、得意なこと)

・美瑛のすてきなところをご案内します

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

美瑛町
北海道上川郡美瑛町
美瑛町観光協会サイト

SSAW BIEI
美瑛を代表する写真家・故前田真三氏のお孫さんで、アートディレクターの前田景さんと、料理家たかはしよしこさん夫妻がこの夏オープンしたレストラン。美瑛の四季がひとつのプレートに表現される美しくおいしいお店。

北海道上川郡美瑛町拓進
公式サイト

お気に入りの場所(アウェイ)

陶々舎
私のお茶の師匠・天江大陸さんらが営む 「茶人のシェアハウス」

京都市北区紫野大徳寺町63-38
公式サイト


つながり

嘉村賢州(NPO法人場とつながりラボ home’s vi)

濱部玲美(KUUMA)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

嘉村賢州さんからの紹介でインタビュー。ストーリー仕立てで話してくれたので、すごく一連のつながりやきっかけが分かりやすかったです。また送っていただいた美瑛の写真がどれも美しくて、まだ訪問したことがないのでいつか必ず行きたいと思いました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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