小中学生の頃9年間不登校になるが、その経験をもとに描いた漫画作品がヒット。全国で講演活動も続けながら漫画家としても活躍する棚園正一さんにインタビュー。
棚園 正一 たなぞのしょういち
1982年生まれ。
義務教育期間の小~中学校の9年間を不登校をして過ごす。13歳の時に漫画家、鳥山明氏と出会い漫画家を目指す。専門学校卒業後、大学入学資格を取得し、名古屋芸術大学に進学。
2015年、自身の小・中学校時代での不登校経験を描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』が注目を集める。現在、河合塾美術研究所こども教室、漫画専門学校で講師を務める他、全国各所で不登校をテーマとした講演を行う。
2021年「学校へ行けない僕と9人の先生」の続編「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」発表。
小学校1年生の時、学芸会の練習があり読み合わせをみんなで行うことになった。自分の役がよく分からず、先生に聞きに行ったら、担当の先生に殴られてしまう。なぜ殴られたのか理解できないまま、もう一度分かりませんと聞いてみても、再び殴らてしまう。明日も練習があるからまた殴られるかもしれない。そんな恐怖心が棚園さんを包み込んでしまいます。そうしたきっかけから、休みがちになっていく。休んでしまうと勉強にもついていけなくなり、また休む。休みが続くと友だちとも仲良くなれないので、また休む。そうして休む理由が増えていった。
休んでいた期間中も自宅で勉強をしていたが、自分一人でやるには限界もあった。中学は地元の学校ではなく違う町の中学校に電車で通うことにした。心機一転生まれ変わった気持ちで入学式に出席するも、周囲との差を感じてしまい、学力テストもうまくいかない。挫折感を感じてしまい、また引きこもる日々が始まる。将来への不安も大きく、消えてしまいたいと考えたこともあったそうだ。
ある日から不登校支援活動してる人が週に1度、家に訪問してくるようになった。一緒に勉強したり、お話をしたりする日が続く。しばらくして気分転換にドライブに行こうと誘われ、連れて行ってくれた先は、大好きだった『ドラゴンボール 』の作者・鳥山明先生の自宅だった。突然アポイントなしに訪問したが、当然ながら家族の方に忙しいからと面会を断られる。この子は不登校の子なんです会わせてくださいと、ちょっと強引なお願いに、棚園さんはびっくりしたという。あとから聞くとその日以降も通って面会してもらうようお願いしていたそうだ。好きな先生に合わせたいという気持ちと別の理由もあったそうで、その不登校支援の会社と鳥山先生との対談企画を新聞社に売り込んでいたという事情もあったという。
担当者の熱意が通ったのか、対談取材は受けないがその子となら会ってもいいと返事をもらい、憧れの先生に会えることになった。ノートに描いていた漫画を見てもらうと褒めてくれ、学校に行かなくても漫画家になれますかと質問すると、鳥山先生は、「漫画家にはなれると思うけど、学校に行ったら学園ものとか描くとき便利かもね」と答えたという。その言葉で気持ちが軽くなった気がした。”それだけで良いんだ。”そう思ったそうだ。それから勉強を頑張りながら漫画家への道を目指し、雑誌の新人賞にも応募。少年ジャンプの手塚賞にも選ばれたこともあった。
新人賞を受賞したものの、それは必ずしも漫画雑誌の連載が確約されるものではなかった。それから30歳くらいまではアルバイトをしながらイラストを描いたりして生計を立てていた。2015年、当時担当してくれていた出版社の編集者が、不登校の体験を漫画にしてはどうかと強く勧めてきた。初めはそんな題材で読んでくれるのかとピンと来なかったそうだ。WEBコミックアクション(双葉社)に『 学校へ行けない僕と9人の先生 』というタイトルで連載がスタートした。翌年に単行本化され、徐々に反響が大きくなっていく。読者からは勇気づけられたとの手紙が多く寄せられたそうだ。
出版されたことで取材も増え、本も売れていくようになった。自分のコンプレックスを埋めるために描き始めた漫画が、いつの間にか漫画家になるべき、ならなきゃというプレッシャーになり結果が出ない状況に苦しんだことも事もあったそうだが、今では全国で講演会にも呼ばれるほどになり、続編「学校へ行けななった僕と9人の友だち」も出版。苦く辛い経験だったが、今振り返るとこのためにあったのかなと思えるようになったそうだ。講演会では思い詰めた親御さんも多く、その人たちのためにも自分の役割だと思い活動を続けている。
現在はスローニュースで著名人や一般の人たちの不登校エピソードを描く「マンガ 学校に行きたくない君へ」を連載中。
不登校活動の漫画がライフワークとして続けながら、それ以外の漫画も描いていきたい
スピッツ、ゲーム・オブ・スローンズ(海外ドラマ)
著書
「学校へ行けない僕と9人の先生」双葉社(2015)
「マンガ うんちく名古屋」KADOKAWA(2015)
「マジスター~見崎先生の病院訪問授業~」小学館(2019)
「続 学校に行きたくない君へ」ポプラ社(2020)
「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」双葉社(2021)
寄稿「あいち子ども・若者への応援メッセージ集」(2018)
「マンガ 学校に行きたくない君へ」スローニュース連載中
SNS・ブログ
Twitter (@tanazono)棚園正一
Instagram (@shoichi_tanazono)棚園正一
Youtube 学校へ行けない僕と9人の先生neoのYoutube
アメブロ SHOICHI TANAZONO.com
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大須
東京
・奥野浩次(弓道写真家)
・久米由浩(プロコワ)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
奥野さんからの紹介でインタビュー。小学生と中学生のころに不登校にという経験は驚きでしたが、そこから頑張って来られた努力は並大抵ではないと思いました。新作を楽しみにしています。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |