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【鹿児島】泰尊/TAISONG(ラッパー)

鹿児島を拠点にラッパーとして活動を続ける泰尊さん。

プロフィール

泰尊/TAISONG

1988年、鹿児島で生まれて17歳でマイクを握る。カトマンドゥの洗礼を浴びた人間のひとり。街の便利屋。2013年、Bar TIMELESSにて主宰イベント「Tabi no Tochu」を始める(20213月、20夜を迎える)20161st Album”Tabi no Tochu”リリース。2019年、自身初のワンマンライブを開催(at たんすの肥やし)。そして2019年初秋、2nd Album

“SHORT HOPE”リリース。2020年 晩秋 3枚目のアルバム “STOP,LOOK,LISTEN”リリース。2021年キャンピングカーヤナギダロデオに乗り込み唄旅を続け 2022年 初春 4枚目のアルバムフェリべトゥンラをリリース。リリース後 2度目のワンマンリリースライブを鹿児島CAPARVOHALLにて敢行、最幸、無事任務完了 そして、次の旅路へ向かう。113日には初のベストアルバムをアナログレコードにてリリースが決定。LIFENESS RECORDINGS主宰。オフィス旅の途中。

カトマンズでのライブが人生の転機に

鹿児島市で生まれ育ち、高校生の頃は日本人のヒップホップが好きになった。初めてヒップホップを聞いた時はハンマーで殴られたような衝撃で、とにかく格好良いと思った。それから自分でも歌詞を書き始め17歳の頃から音楽を始める。18歳で青春18きっぷを使って東京を目指した。それからバイクで日本各地を旅もした。20歳で地元で就職をするが、どこか息苦しさと圧迫感を感じ、海外に出たいという気持ちが沸いた。2年間東京で働きながらお金を貯めていた。

22歳でネパールのカトマンズを訪問したのが、人生の大きな転機となった。孤児院で子ども達の世話をさせてもらったり、一緒に遊んだり、日本語学校で日本語を教えていた。ある日大きな音楽イベントがあり、そのステージに立てる機会をもらう。しばらくステージから遠ざかっていたが、無我夢中になって即興で歌うと会場が大いに盛り上がった。ソウルが伝わったと現地の人たちにも喜んでくれて抱きしめてくれた。ようやく自分を再起動できたと思えた。

2011年の東日本大震災が発生した時はネパールにいて、自分はここにいて良いのかと自問自答した。そしてヨーロッパ、中東、インドを旅したのち帰国し、福島で除染作業員などに就いた。その後地元に帰り、自分の土壌を鹿児島に作ることを決意。本格的に音楽活動を開始。仕事では便利屋を開業して二足の草鞋で活動を続けている。近年は目の前の世界と住んでる街を少しでも面白くしたいとの想いから「旅の途中」というライブを開催。2021年は川辺森の学校。22年はキャパルボホールや寺院で、10周年となる23年3月には日置市日吉運動公園で入場無料のフリーパーティー開催する。⁡

これからどうしていきたい

街や日々を耕しながら、暮らしを豊かに旅を続けながら、家族と仲間達と平和に暮らす。

20年後も新曲を作っていたい。2025年までに鹿児島のローカルシンボルである鴨池球場を貸し切ってライブをしたい。

パッションポイント

日々を掘り起こす、本を読む

公式サイト、出版物など

Instagram(@taisong_tabi_no_tochu)泰尊

チケット(私のできること、得意なこと)

・会いに来てくれた方に合う店や街や人を紹介します。

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

日置市の国道270号線の夕焼け

お気に入りの場所(アウェイ)

バクタプル(ネパール)

つながり

六反かゆこ(吉備中央町地域おこし協力隊)

森拓斗(シンガソングライター)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

六反さんからの紹介でインタビューしました。アーティストのインタビューは3人目。優しい目が印象的で時折見せる笑顔が素敵でした。東京近郊にいらした際にはライブ拝見しに行きます。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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