東京からUターンで長野県松川町に戻り、築170年の生家を舞台に地域に息づく文化を継承する北原さんにインタビュー。
名前:北原太志郎(だいしろー)
縁のある地域:長野県松川町、東京都板橋区・葛飾区、北海道札幌市、カタール国ドーハ
GOKIGEN Nippon代表
1980年 長野県松川町生まれ。北海道大学文学部卒業後、日本赤十字社に就職し、資金調達事業や青少年育成事業に携わる。地域活性のコンサル会社に転職し、東京の品川宿のまちづくり事業を担当する。30歳で東京生活に区切りを付けて生まれ故郷にUターン。飯田市観光課職員として、リニアでつながる飯田と品川の交流プロジェクトを立ち上げる。7年間の市役所勤務後に独立。GOKIGEN Nipponの構想実現に向けて奮闘しつつ、地元松川町の観光地域づくり会社で滞在交流型プログラムの企画造成にも携わっている。人生のモットーは、「日本人として生き、日本のこころを未来へ届ける」。
出身は長野県松川町。大学は北海道大学に進学した。大学時代にYOSAKOIソーランに出会って人生180度大きく変わったという。賞を取るための踊りではなく、自分たちの踊りで目の前にいる方々を、そして北海道を元気にする。生身の人間が生み出す内からの想いやパワーを感じ、表現活動に関心を持ち始める
卒業後は、日本赤十字社がある東京で就職。そこではファンドレイジングの仕事をして、その後地域活性化のコンサルティング会社に転職する。その時に担当したのは旧東海道品川宿があった北品川などがある地域だった。しだいにコンサルティングという立場の自分と地域の方々との意識のずれのようなものを感じていった。そんな時に品川宿の人に言われた「あなたが本当に汗をかくべきところはどこか?」の一言でに背中を押されたという。自分が汗をかくべき場所はここではない、生まれ故郷に帰ろう。
北原さんの生家は改築後170年の歴史をもつ古民家「市場(いちば)」。江戸時代は庄屋で350年の歴史があり、現在の母屋は1853年(ペリーが来航した年)に改築した。この地域では同じ苗字の家が多いので「市場」というように1軒1軒に屋号が付いている。そこには100歳を越える祖母もいて、Uターンで帰ってきた時『あんたはこの家の人だ、もうどこも行っちゃいかんに。』と言われたそうだ。目の前の100歳の祖母の姿を見た時に、100年先の未来は今の自分の振る舞いで決まると思った。
現在は、「市場開き」としてこの古民家を案内し、味噌蔵、囲炉裏、神棚、座敷など江戸時代から変わらない造りを感じたり古道具や漆器、古文書を眺めたり田植え体験や竹細工、森で焚き火を囲んでの語らいなどのイベントを定期的に行っている。先祖からの贈り物をどう活かすか。ヒントは祖母の姿にあった。いつもニコニコしていて、愚痴も言わない。自分もそうなりたいと思ったと語る。風の人(旅人)も土の人(地域の人)もつながる場所にしたいと、地元に帰ってきて飯田市役所で勤めたのち、GOKIGEN Nippon を立ち上げる。目指すは100年先も、凛としてたくましくゴキゲンな日本を。
全国7つのパートナー地域(奥会津、佐渡、利賀、遠山郷、東出雲、蒋淵、糸島)をメインにいく旅企画もはじめた。地元のコミュニティに入って、田畑や港での作業や地域行事のお手伝いをしながら、地元の「暮らし」におじゃまさせてもらう。その中で見て、聞いて、触れるその地のリアル。その地の方々と交わす言葉を通じて何かを感じて欲しいと語る。
各地域に旅をして、そこで出会った生き様を歌と踊りにのせ、この時代をどう生きるのかを問う舞台作品を創作する参加型ミュージカルも企画している。これからの時代、この日本に根を張って生きる若者を育んでいきたい。地域の暮らし、技、心を受け継いで生きていく、凛々しさ(先人とのつながり)、たくましさ(自然とのつながり)、ゴキゲンさ(仲間とのつながり)を育む事業として100年先まで続けていきたいと語る。
森と焚き火と古民家で、この地域の玄関口となる「市場」から始まるコミュニティをつくっていきたい。焚き火のイベント、蔵を改装して泊まれるようにしていく計画。
九州系地唄の三味線、地元の獅子舞保存会の笛
・焚き火を囲んで一緒に語り合いましょう |
・松川町のある伊那谷の伝統芸能、暮らしが残ってるディープな地域を案内します |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
伊那谷
長野県南部の2つのアルプスに囲まれた天竜川沿いの細長い盆地
佐渡
蒋淵(こもぶち)
愛媛県宇和島市
・矢野雅大(遊びでまちづくりする準備室)
・渡部唯子(飯島町地域おこし協力隊)
・能見奈津子(百匹目の猿)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
矢野さんからの紹介でインタビュー。柔らかな語り口でありながも、その想いが言霊となって伝わってくるようなインタビューでした。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |