東日本大震災を機に地元気仙沼に帰り、デザイン会社を設立して地元を盛り上げる佐々木義洋さんにインタビュー。
気仙沼デザイン株式会社代表
1974年宮城県気仙沼生まれ。グラフィックデザインに出会い大学を中退。
1998年東京・四ツ谷にあるデザイン会社へ。雑誌や広告のデザイン、アートディレクターを経験。2006年フリーランスに、ロゴ・webサイト・広告制作・アプリ開発スクール非常勤講師など。震災をきっかけに、2014年地元気仙沼にUターンしデザイン会社を設立。気仙沼市の観光に関わるデザイン全般を担当。
日本BtoB広告賞金賞/全日本SEO検定1級取得/月間35万PV達成/宮城県年間アクセスランキング1位。
地域や会社の課題をデザインで解決します。趣味はマラソン、ロードバイク、トライアスロン
出身は宮城県にある港町気仙沼。とにかく地元を出たく、大学進学で上京、大学時代にグラフィックデザインに出会い、自分が本当にやりたいのはこれだ!と大学を中退。小さなデザイン会社に入り、旅行誌のデザインや広告の仕事を8年間経験した。終電で帰る日々を過ごす。2006年にフリーに転身、ロゴデザインやWEBサイトデザインなどデザインの領域も広がった。そして個人で稼ぐ難しさを自ら経験したことで、ビジネスの集客やブランディングの大切さを学び、それを仕事にも生かし、ビジネスや集客の相談もできるデザイナーとして信頼を得た。
2011年3月に発生した東日本大震災。気仙沼の両親は避難して無事だったそうだが、実家は津波で流されてしまう。それまで都内で働いていた佐々木さんだったが、震災を機に地元で何かをしたいとの思いが強くなった。それまでは気仙沼にはデザイナーとしての仕事はないのではと思っていた。震災当時、東京からテレビでみる気仙沼のデザインがあまり企画の良さなどが伝わっていないと感じた。
自分ならもっと魅力を引き出せると考え、2014年に「気仙沼デザイン株式会社」を立ち上げた。しばらくの間は当時住んでいた埼玉から気仙沼まで通いながら仕事をしていた。フリーではなく会社法人にした理由は、田舎ではデザインという職業がなかなか理解されにくいからだ。地元では印刷会社があるだけで、デザイン専門の会社がなく、デザイン料金を提示するとびっくりする人が多かった。デザインを必要としていないところに安く見積もるのではなく、価値を認めてくれる人にきちんと実績を作りながらやっていこうと思った。次第に取引先も増え、今では自ら営業するまでもなく声がかかる方が多くなったそうだ。生まれ育った街だが、東京から戻ってからの方がより育ててもらった感があるとのこと。
思い入れのあるデザイン作品は何か尋ねたら、気仙沼かつお祭りのポスターだと返ってきた。生鮮かつお水揚げ24年連続日本一の気仙沼では毎年海の日をかつおを食べる日とし、かつおを振る舞ったり、限定かつおメニュー、かつお丸ごと一本当たる抽選など、かつおづくしのイベントがある。だが地元での認知が少なかったので、サザエさんのカツオくんを起用したポスターや、ポスターを横につながるデザインにすることで、何枚か繋げて貼ってもらえ、結果的に大きなポスターになる。など大きな反響を呼び、今でも佐々木さんの代表作として認知されるきっかけとなった作品だ。
気仙沼で、田舎だけど素敵なデザインが多くなってきた。移住してきたデザイナーさんも増えていて、一緒に素敵な街にしていきたい。
ロードバイク、スイーツ
・気仙沼の美味しい店位を案内します |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
大島亀山頂上
宮古島
沖縄県宮古島市
宮古島での100キロマラソンにも参加したことがあり、そこで見た海が美しかった。
・小山裕隆(コヤマ菓子店)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
佐々木さんとの出会いは10年以上前、当時フリーペーパーを作りたくて編集デザインができる方を探していて出会った。結局その企画は頓挫し、その後も知人のWEBサイトデザインの話を紹介したこともあった。結局仕事らしい仕事はお願いできないまま月日が経ち、今では気仙沼でデザイナーとして活躍されてる様子を見ていて、今回お声かけしました。またJリーグ話などで語り合える日を楽しみにしています。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |