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【福島】脇坂斉弘(合同会社 ねっか)

福島県の只見で米農家仲間とともに、地域の田園風景を守るために酒造りを開始。米焼酎「ねっか」を製造する脇坂斉弘さん。

プロフィール

脇坂斉弘/Yoshihiro Wakisaka
福島県郡山市に生まれ育ち、大学卒業後は建築の道に。結婚を機に南会津に移住し、酒蔵「花泉」で酒づくりに携わる。2016年只見の米農家仲間とともに酒蔵を立ち上げる。「ねっか」は福島の方言「ねっかさすけねえ(全然大丈夫の意)」に由来。

地域の田園風景を守るために酒造りをはじめる

福島県郡山市で生まれ育ち、日本大学の工学部で建築を学び建築会社に1997年に就職をしたのち、2000年から旧南郷村に移住して花泉酒造合名会社に入った。15年近く日本酒作りに関わってきた頃、地元の米を使って地元のお酒を作りたいという気持ちが強くなっていった。隣町の只見の農家さんと話す機会があり、只見の米を使い酒を作ろうという話がでた。只見は東京23区ほどの面積に人口が3800人ほどで、高齢化が進み、若年層は進学と共に町の外へと出ていってしまう。また農業の新規参入は高額な資金も必要なためハードルも高く耕作放棄地が増えていた。

米を食べるだけでは田んぼの景観を守ることができない。お酒造りに使う米も作って田んぼを守りたいとの気持ちがあって、只見に酒蔵が必要だと思った。しかし日本酒も焼酎も新規免許は認められてなかった。ある知人が「特産品しょうちゅう製造免許」というのを探して教えてくれた。これは申請製造場の所在する地域で生産された特産品を主原料として、単式蒸留焼酎を製造しようとする場合の特例的製造免許だった。そこで米を使った焼酎作りが始動していく。2016年に「合同会社ねっか」を農家の仲間たちと設立。

米焼酎ねっかの誕生

大きなハードルは、最初の年から10キロリットルの焼酎を生産しなければならなかった。しかも申請時に10キロリットルの焼酎を確実に販売できることを証明する書類も必要だった。およそ2万本。昔からの取引先に話をし、脇坂さんのお酒ならばと取引先が応援してくれた。2017年1月から奥会津蒸留所で焼酎作りを開始。2月に初蒸留をし、4月には米焼酎「ねっか」として初出荷。

「ねっか」とは、只⾒町や南会津南郷地域で使⽤する⽅⾔で、「まったく」「ぜんぜん」を意味する強調するときに使⽤する⾔葉で、可能性を否定せず前向きな気持ちでものごとをとらえる「ねっかさすけねぇー(No problem at all)」の精神を表してるという。

子どもたちと米作り、酒作りを体験

地元の米で地元の酒を作るというこだわりのほか、地域の小学5年生に米作りを体験してもらい、その米で作った焼酎を成人式の日にプレゼントするという企画だ。小学生から高校生まで農業体験などに関わってもらうことで、地元のコメに触れ、どのようにしてお酒ができるか学ぶ機会を提供している。こうした体験を通じて、地域のことをよく知る場にもなっている。

これからどうしていきたい

地域の田んぼを守り、米を使ったウィスキー、ジン、ウオッカをつくっていきたい。

地域コミュニティをつくっていきたい。

パッションポイント

スノーボード

公式サイト、出版物など

公式サイト

ねっか online shop

チケット(私のできること、得意なこと)

・一緒にお酒飲みましょう

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

会津高原南郷スキー場
福島県南会津郡南会津町界湯の入293

お気に入りの場所(アウェイ)

大阪府堺市

つながり

西村和貴(NPO法人猪苗代研究所)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

西村和貴さんからの紹介でインタビュー。米焼酎は飲んだことがなく想像できないですが、ねっかを飲んでみたいと思いました。子どもから米作り体験から関わり、成人式でプレゼンという話もとても素敵です。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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