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【長野】渡部唯子(飯島町地域おこし協力隊)

学生時代はわらじを履いて100キロ歩く旅をしたり、現在は長野県飯島町でわら職人として地域に新しい担い手となり活動する渡部唯子さんにインタビュー。

プロフィール

1991年山形県長井市生まれ、帝京大学 経済学部 観光経営学科卒。株式会社morisemiで、大学生向けの研修企画担当、大和ライフネクスト株式会社で管理人さんなどの採用を担当、エン・ジャパン株式会社で法人営業。2020年から長野県飯島町で地域おこし協力隊。

大学時代に、わらじを履いて100キロ歩く旅

帝京大学に通っていた学生時代、経済学部の観光経営学科で観光全般について学び、町おこしにも興味を抱いていた渡部唯子さん。各地域の方たちの話を聞いて、その地域の文化や歴史について調べていた。大学2年の頃、ゼミ研修で鹿児島県南大隅町へ行く。そこで町おこしをやってる方と出会い、研修後にお礼の手紙を送ると、「わらじが似合う」と返事があった。

それを読んで渡部さんは空港から南大隅町まで、わらじを履いて歩いて旅しようと思い立つ。空港から南大隅町まではおよそ100キロある。素足に履いて歩いたので足下は血まみれの状態で歩いたという。道中いろんな人に声をかけられ、飲み物を提供してもらったり、ゲストハウスに泊まりながら歩き続けた。その旅が南大隅の人の耳に入り、最後はクルマで迎えにきてもらい無事にゴールする。

地域の担い手になりたい

就職は、全国の情報が集まる東京の民間企業に入ろうと思い、ゼミの先生がやっていた会社で1年、不動産管理会社で、採用の仕事を4年半勤めた。その後営業の仕事をやってみたいと思い求人広告の会社へ転職。30歳になるタイミングでこれからどうして行こうかと考えていた矢先、2020年のコロナ禍で社会状況は一変してしまう。自分は何をやりたかったのかと自問自答した時、地域に関わることをしたいとの想いが強くなる。

コロナ禍で地方の祭り行事が出来なくなっていく様を見て、暮らしをつなぐ次の担い手、職人になりたいと思った。ちょうどその頃、長野県飯島町の地域おこし協力隊として、土俵制作の後継者募集してるのを知る。すぐに応募すると採用されたのだが、実は土俵制作は男性のみしか関わることが出来なかったということが現地で判明する。

結局そこでは、しめ飾りなどを半年間ほど作成した。地域おこし協力隊として住民との関わりも少なかったため21年4月からは、町の中に工房をおき、わら細工を通して町に貢献していけるように活動している。拠点となってる工房は、「飯島陣屋」といい。1677年(延宝5年)に設置され、信濃の他陣屋代官や他国代官が兼務し、出張陣屋として使われていた。明治に入り、幕府天領地の接収で飯島陣屋は廃止され解体されたが、1994年に復元し民族資料館となった。数年前まではこの場所でも町民がわら細工を楽しむクラブがあったそうだ。

和傘「阿島傘」とのコラボレーション

長野県内で同じく地域おこし協力隊で、江戸時代から伝わる和傘「阿島傘」の技術継承に取り組む水谷槙さんがNHKの番組で紹介され、そのことを知り合いに教えてもらって会うことになった。水谷さんがいる喬木村に足を運び、すぐに共同制作しようと意気投合した。21年4月から作業を開始し8月に完成。しめ縄を骨組みに巻き付けた独自のデザインで協力隊同志のつながり、新しい価値を生むきっかけになった。

完成した傘は、渡部さんが制作拠点にする町歴史民俗資料館「飯島陣屋」と喬木村で展示予定。ものづくり系の地域おこし協力隊は、地域の方との関わりが少なくなりがちだ。しかし、「もの」があるとPRのきっかけができるので、ものづくりのコラボレーションを今後も続けていきたいと語る。

これからどうしていきたい

まずは協力隊として任務を全うしたい。『藁×○○』で他の工芸品などとのコラボレーションを続け、卒業後の「商品」開発にもつなげていきたい。自分で藁を確保できるようにするためにコメ作りも教わっている。農業の面でも自分のできることを少しずつ増やしていきたい。

パッションポイント

登山、読書

チケット(私のできること、得意なこと)

・わら細工のワークショップします

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

木曽駒ケ岳
長野県木曽郡上松町

お気に入りの場所(アウェイ)

南大隅町
鹿児島県肝属郡南大隅町

つながり

北原太志郎(GOKIGEN Nippon)

芳沢郁哉(いくやの家)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

北原さんからの紹介でインタビュー。事前調査で見つけたYouTubeの取材動画が面白くて、なんでわらじを履いて歩く旅をしたのか興味がありました。いろんな苦境をも乗り越える力と明るさを兼ね備えた方だと思いました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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