上越新幹線駅設置の経緯
なぜ乗降客数が少ない浦佐駅に上越新幹線の駅ができたのか。六日町と小出町の中間に位置する場所に決まるまで紆余曲折があった。

政治駅説
「日本列島改造論」で新幹線建設の機運を高めた田中角栄は、日本鉄道建設公団法を成立させて日本鉄道建設公団を作り、収益の見込めない地方ローカル線(只見線など)の建設を進め、上越新幹線を着工させた、と言われる。
主要駅だった六日町駅、小出駅ではなく、その中間点にあたる浦佐駅が突然新幹線停車駅に決定。小出・六日町の両町からも「何故我が町を差し置いて」などと異議を唱える声が上がった。

地理的理由説
候補となった六日町は越後湯沢に近過ぎるため駅設置が難しく、小出に設けるとルートが大回りになる上、小出駅の構内が狭隘で新幹線ホームが設けられないという、地理や線形の問題が背景にあったとする説がある。

