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【USA】Lukas Sylvano Bonick(Salinas High School)

日本好きが講じて日本でホテル支配人などを経て、現在は故郷サリナスで日本語教師を目指すルーカスさん。

プロフィール

アメリカ・カリフォルニア州サリナス市出身
川崎のホテルオンザマークスでは支配人も務めた。

日本留学で日本が好きになる

カリフォルニア州サリナス市育ったルーカス。小学生の頃ワシントン州に移り住むが、その後再びカリフォルニアに戻った。サリナス市はサンフランシスコから南へ約2時間ほど行った町で人口は15万人ほどだ。カーネーションなどの花卉栽培や農業で栄えてきた。第2次世界大戦後のアジア難民救済法によって鹿児島県の旧串木野市出身の約70人がサリナス市を中心に移住し、のちに姉妹都市となっている。そういた背景もあり日本人などアジア圏から来た人々のコミュニティがあり、次第にアメリカとは異なる日本文化に興味を持ち始めて行った。

高校時代から日本語を学びはじめ、交換留学で岡山に訪れたこともある。大学はカリフォルニア大学に進学。日本文化や天文学を専攻し、1年間東北大学に留学もした。将来何になりたいかは特に決めていなかったが、2度の日本留学で、また日本に行きたいとの想いが強くなった。大学卒業前にJET (Japan Exchange and Teaching) programで、日本の学校で先生の助手をするというプログラムに申請して、奈良行きが決まった。日本には四季があり自分がこれまで知ってる世界とはまったく違う世界があり、すごく日本が好きになった。奈良では3年間、学校の先生や国際交流の通訳をした。

オンザマークス川崎

2015年からは、せっかく日本にいるなら東京で働いてみたいとUDSに就職。川崎駅近くに開業したホステル「オンザマークス川崎」で勤め始めた。あまり知られていないことをアピールのするのが好きだったため、川崎駅周辺のB級グルメを観光客に案内したり、着物学院とコラボし外国人宿泊者に着物を着てまち歩きや節分の豆まきを体験してもらったりした。ホテルは4年半の営業で終了となったが、その後も銀座のMUJI HOTELでも勤務をし退職した。
2021年春に、地元のサリナスで母校の日本語教師の枠が募集されたのを知り、申し込んだ。コロナ禍の中アメリカに帰国して日本語の先生をしている。

これからどうしていきたい

日本語の先生としていまは頑張って行く。

パッションポイント

言語学習

チケット(私のできること、得意なこと)

・最高の日の入りを教えてあげます(海のしずむのを見せてあげます)
・世界で一番の水族館(Monterey水族館)を案内します。

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

サンフランシスコ

お気に入りの場所(アウェイ)

奈良の吉野町、熊野古道

生田緑地

スリランカ


つながり

吉岡明治(リットアップ)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

ルーカスさんとの出会いは川崎のオンザマークス開業間もないころにホテルで挨拶を交わしたのと、川崎でシェアオフィス運営をしてた時にイベントのゲストで来てもらったりもした。人懐っこい感じですぐに打ち解けれたのを覚えています。今回日本にいると思いきや、アメリカとをオンラインで繋いでインタビューしました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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