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【東京】奥野浩次(弓道写真家)

16歳から弓道をはじめ、20代後半から趣味の写真を活かし弓道専門のカメラマンに転身した奥野浩次さんにインタビュー。

プロフィール

1984年三重県生まれ。
大手出版社を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。写真家の堀江浩彰氏に師事。自身も20年以上続けている弓道普及の為、世界で唯一の弓道写真家として活動。

国内外問わず様々な弓引きや職人、道場の写真を撮影し展示等を行う。写真撮影だけではなく、弓道関連のイベントのプロデュース、弓道体験場の店舗プロデュースなど幅広く活躍。TBSテレビ「炎の体育会TV」弓道企画のサポート、企画内にて解説も務める。

16歳から弓道をはじめる

出生は日本の三重県。父親が自動車関連の職場に勤めていた関係で生後11ヶ月後には渡米し、10歳くらいまでアメリカのオハイオ州で育った。そして10歳で再び三重県に帰ってくる。日本に帰ってきてからは近所の鈴鹿サーキットでよく遊んでいて、祖父がカメラ好きだったということもあり、次第にカメラが身近なものとして感じていた。アメリカで過ごしていた時は日本の武道に憧れを抱き、はじめは空手に挑戦するも、時代劇で見た弓を引くシーンを見て格好いいと思い16歳から弓道を始めた。

大学は中部大学の国際関係学部に行き、日本と海外を繋ぎたいと夢見ていた。卒業して名古屋市内の外資系ホテルでのキャリアスタートし、それからはいつくかの仕事を転々とし、大手出版社に就職。名古屋で仕事をしていた時に知り合った堀江浩彰さんにフリーでカメラマンになりたいと相談した際、趣味を活かした写真を撮ったらいいんじゃないかと助言を受け、弓道とカメラマンを掛け合わせて弓道写真家としての道を選んだ。またその仕事を通じて弓道を普及させたいとの思いもあった。

弓道写真家として活動を始める

いきなり弓道写真家として食べていけることはなく、営業時代に培ったローラー作戦で200件近くカメラマンの仕事を売り込み、ようやく5社ほどから仕事をもらってカメラマンとしての第一歩を踏み出していく。まずはインタビューの時の人物撮影など雑誌、新聞、WEBサイトなどの写真を撮影したり、写真展を開いたり、武道系の雑誌に売り込むなど活動の場を広げていく。やがて全日本弓道連盟から声がかかり弓道に関する写真の仕事も次第に増えていった。また自身でもWEBサイトを作成して海外に向けて配信しアピールした。

転機になったのは2019年5月ごろ。在メルボルン日本国総領事館主催の「Art of Japanese Archery」というイベントがあり、そこで弓道の展示をすることになった。しかしメルボルンには正式な弓道場がなく体育館を使って弓道をしているので、奥野さんが撮影した写真を使わせて欲しいと連絡があった。

実際に現地へ飛び、練習にも参加し、指導したりもしていると日本人よりも日本人らしいと感じた。とても熱心で武道の精神を大切に守ってくれている様に感じた。海外の人たちはレベルアップしたいと思い練習に取り組んでいるが、指導者不足という現実があった。そうした海外の現状も感じ、なお一層弓道に関わっていきたいと思った。

2020年、TBSテレビ『炎の体育会TV』から弓道の企画をやりたいとの相談が持ちかけらる。はじめは自分がやるべきなのか、娯楽扱いされて軽くみられてしまうのではないかと懸念したが、メルボルンでの体験が頭に浮かび、メディアでの露出を高めて、弓道をもっとPRしようと決心し、弓道企画の解説として快諾した。その後コロナ禍に入り弓道写真家としての活動は制限されてしまったものの、常に弓道への想いを忘れず、またいつもの様に弓道場に集まれる日を待ち望んでいる。

これからどうしていきたい

コロナ渦で新作を撮りに行く機会が減ってしまっていたので、早く新作を撮りにいきたい。

弓道の職人さんの活動もサポートします。

パッションポイント

いろんな業種の人と話すこと

公式サイト、出版物など

公式サイト

Twitter (@KyudoPhoto)弓道写真家 奥野浩次

チケット(私のできること、得意なこと)

・スマホでも綺麗に撮れる写真テクニック講座します
・弓道のあついトークできます

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

小名木川クローバー橋
東京都江東区大島1丁目

お気に入りの場所(アウェイ)

鈴鹿サーキット
三重県鈴鹿市稲生町7992
公式サイト

クイーンビクトリアマーケット(メルボルン)
公式サイト

つながり

堀江浩彰(ホリエビル)

中村匡希(竜王町議会議員)

棚園正一(漫画家)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

奥野さんとの出会いは、都内のとあるシェアオフィスで知り合いました。奥野さんへのインタビューの前に数人ご紹介していただき、その方へのインタビューが先行となりましたが、ようやくお話伺うことができました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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