新聞記者を経て震災復興中の岩手県釜石市に移住。岩手移住計画やいわて地域おこし協力隊ネットワークの活動をしている手塚さや香さん。
手塚さや香(てづか・さやか)
大学卒業後、全国紙の記者となり盛岡支局に赴任。4年間勤務した後、東京・大阪の本社では学芸部記者として現代美術や論壇などを担当。東日本大震災後、ボランティアや取材で再び岩手に足を運ぶようになり、2013年10月からは再び盛岡支局を拠点に大槌町など県内沿岸被災地を取材。退社し、2014年秋から復興支援員組織「釜援隊」(釜石市)として活動。協働先の「釜石地方森林組合」では、人材育成事業「釜石大槌バークレイズ林業スクール」の事務局業務や首都圏からの林業体験の受入れ、木製品開発、情報発信を担当。
2021年に独立し、ライターやキャリアコンサルタントとして活動するほか、森林組合のサポートも行う。同年、岩手県内の地域おこし協力隊OBOGら5人とともに(一社)「いわて地域おこし協力隊ネットワーク」を設立し、協力隊の研修事業などを実施している。「岩手移住計画」(2014年発足)代表。
埼玉県さいたま市で生まれ育ち、小学生から文章を書くのが得意で中学生の頃から将来は新聞記者になりたいと夢を描いていた。大学は立教大学に進み、2001年に毎日新聞社に就職する。1年目の配属先で岩手県盛岡市の支社で記者としてのキャリアをスタートして、この頃から岩手県との縁を深めていった。盛岡で4年、その後本社がある東京や大阪でも勤務した。2011年の東日本大震災の発生当時は、まだ大阪で仕事をしていたが、取材やボランティア活動で再び岩手県との関わりを持つようになった。
もともと県内各地で取材していたこともあって、岩手への思い入れも強く、震災後はなにかしなければと動かされる気持ちもあった。岩手で暮らし始めて改めて魅力を再確認した。実際に被災地に入った時の光景はいまでも焼きついている。そして岩手がどう再生していくか、見届けないといけないと思ったという。2014年に新聞社を退職して、釜石市の復興支援員組織「釜石リージョナルコーディネーター協議会」(釜援隊)に入った。
釜援隊では、釜石地方森林組合に派遣され、林業の担い手育成事業や新規事業の立ち上げにかかわり。林業と異業種とのコーディネートを担当。釜石の木材を使った企業のノベリティグッズやラグビーW杯関連の製品をつくったり、釜石にできた新しいスタジアムのベンチを木材で作ったりと、広く木材のことを知ってもらうための活動に尽力した。
復興支援で多くのボランティアの方たちが来てくれた一方で、岩手への移住定住が大きな課題となっていた。そこで移住定住の解決策を仲間たちとブレストを重ね、その中で京都移住計画の存在を知り、代表の田村さんに会いにいった。そして県内の仲間と共に「岩手移住計画」を発足。移住者同士の交流会をはじめ、移住体験ツアーーなどを企画した。
2022年からは「いわて地域おこし協力隊ネットワーク」を開始。地域おこし協力隊の初任者研修を担当している。さらに地域のことをもっと知ってもらおうと県内33市町村の協力のもと、12組の移住者にインタビューをした「&iwate いわて暮らしビジュアルブック」企画をした。まずエリアミーティングで移住コーディネーターとミーティングを重ね、“ふだんが、とくべつ”というコンセプトを掲げて制作を開始した。33市町村をカルタ風のイラストと文で構成し、日常のことから地域の魅力を「地域カルタ」エピソードとして紹介している。
この地域で復興、地域づくり、本として残したい
みちのく潮風トレイル
note Sayaka Tezuka
・地域のキーパーソンを尋ねる旅をコーディネートできます。 |
※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。
釜石鵜住居復興スタジアム
岩手県釜石市鵜住居町第18地割5−1
公式サイト
山田湾
岩手県下閉伊郡山田町
BAR KIWA
大阪市北区堂島1-4-8 廣ビル 4階
・宮崎達也(co-ba marudai ishinomaki)
・伊藤将太(大槌町地域おこし協力隊)
※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。
宮崎達也さんからの紹介でインタビュー。ご主人(宮崎さん)からの紹介ということでご夫婦リレーでした。移住計画つながりだったり共通の知人も多く、楽しくお話を伺えました。(野田)
インタビュー・野田国広(編集部) グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。野田国広の記事一覧 |