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【名古屋】古橋敬一(港まちづくり協議会)

アラスカ留学を経て帰国後、瀬戸市で地域活性化や愛知万博でのNGO/NPO出展プロジェクトなどに携わり、現在は名古屋港エリアでのまちづくり活動行う古橋敬一さんにインタビュー。

プロフィール

1976年、愛知県生まれ。港まちづくり協議会事務局次長。
愛知淑徳大学、名古屋芸術大学等にて非常勤講師。博士(経営学)。 

学部時代にアラスカへ留学。アラスカ原住民族の文化再生運動に触れ大きな影響を受ける。帰国後、大学院へ進学すると共に、商店街の活性化まちづくり、愛知万博におけるNGO/NPO出展プロジェクト、国内および東南アジアをフィールドにするワークキャンプのコーディネーター等の多岐にわたる活動に従事。多忙かつ充実した青春時代を過ごす。人と社会とその関係に関心がある。

2008年より港まちづくり協議会事務局次長として、名古屋市港区西築地エリアのまちづくり活動を推進している。

高校時代はグランパスユースと対戦も

高校1年生の頃、プロサッカーのJリーグが始まり全国的にサッカーブームが到来する。地元の豊橋で名古屋グランパスエイトとジュビロ磐田の試合があって、その前座としてグランパスのユースと試合をしたことがあるそうだ。地元のチームではあったが、プロ傘下のユースに善戦し同点で試合は終わる。当時のオフト監督にも褒められたという。それに気を良くして高校のサッカー部ではなく、少年団メンバーで作ったサッカークラブで練習を重ねながら試合にも臨んだが、前座試合以降はグランパスユースにはまったく歯が立たなかったそうだ。結局サッカーは高校時代で終えるが、その経験が現在の組織マネジメントにも大きな影響を与えていると語る。

大学時代にアラスカ留学

大学は名古屋学院大学に進学、サッカー選手の夢にやぶれ浪人をして、好きなことをやっていきたいと思った。適正テストで自分の人生を決められるのが嫌で、将来に思い悩んだりもした。しかし、異文化教育をテーマにした授業があり、そこで日本の文化を英語で外国人留学生に教える先生に出会った。その先生に影響され1年間、アラスカへの留学を決める。現地で 、まず仲良くなったのはエスキモーやイヌイットの村からやってきた若者たちだった。彼らの英語は訛りがあるがゆっくりで大陸的な雰囲気が馴染みやすかった。彼らにはよく日本の歌や自分の先祖、つまり民族的な由緒についてよく聞かれた。

あとから分かるのだが、彼らはアメリカやロシアに制圧され、文化を壊され、言語や宗教も外国から来た人たちに叩き込まれて生きてきた。それは自分たちが気づきあげてきた文化や知識が破壊されてしまう歴史でもあった。先進国に憧れて都会へ渡っても、マイノリティは定職もにつきにくく、タクシーの運転手のような仕事しかない。やがて酒やクスリに溺れて潰れていく。古橋さんが出会ったのは、そんな状況から脱却するための民族再生運動に参画するコミュニティの人々だった。それに影響を受け、アイデンティティは何か。自分はどこに所属して、その地域のためにどうしていくのか。そんな自問自答をする日々を過ごした。自分ができる料理やサッカー、日本語を現地の人に教えた。またオーロラツアーが日本人観光客に大人気で、参加者の9割が日本人だったので、自分がガイド役だと日本語で案内できるので、みんな喜んでくれた。当たり前のことが状況次第では、強みにもなる。それも一つの原体験になっているという。

帰国し地域に根ざした活動をはじめる

帰国する頃には、愛・地球博を契機に始まっていた産官学連携のまちづくり活動に関わるようになる。それはアラスカ時代の経験の延長でもあった。大学のサークル活動で瀬戸市の中心市街地商店街の活性化まちづくりと連携し、学生主体のカフェ運営を中心に、さまざまなまちづくり活動を展開。当時は目新しい取り組みでもあり、さまざまなメディアからも注目される取り組みとなった。やがて、愛・地球博会場でのパビリオンの運営にも従事し、全国のNGO・NPOが集った地球市民村に関わる。国家プロジェクトである万博は、多額の公金が投入される壮大な社会実験でもある。

その可能性に魅了されると同時に様々な課題を感じた。期間限定ではあったが、社会貢献に仕事として関わることに大きなやりがいを感じたという。一方、現在の職場である港まちづくり協議会が2006年に設立。古橋さんは、2008年から、この協議会の事務局次長に就任している。競艇の場外舟券売り場を地域に誘致し、その売上金の1%を活用したまちづくり活動を展開する組織だったが、誘致の過程で賛成派と反対派の対立があり、古橋さんの仕事は、そうした地域の遺恨に向き合うことからだったという。

みんなとまちのビジョン

公共サービスとしてのまちづくりは、予想以上に困難な船出となった。「みんな」のためのお金、まちづくりを進めようとすると具体的な主体が見えなくなる。「みんな」とは誰か?具体的な地域に立ちながら、「みんな」という見えない相手と向き合うことは至難の技だった。しかし、2013年には、「なごやのみ(ん)なとまち」というコンセプトを立ち上げて、「名古屋中のみんなと楽しめて、全国の皆さんに誇れる「みんなの港まち」を目指す」という定義を盛り込んだ中長期ビジョンを発刊し、プロジェクトの土台を構築した。それ以降、防災、子育て、コミュニティガーデン、賑わいイベント、そしてアートプロジェクトまでという多彩なまちづくりが同時進行で展開していく現在の活動形態が広がっていった。

みなと土曜市

2020年11月からテストマーケットとして開催してきた「みなと土曜市」は、買い物だけでなく、交流や日常の暮らしを豊かにすることを目的にはじまった。近くに水族館はあるが、お客さんたちが駅から水族館までの道のりの途中にある街に寄ってくれないことが長年の課題。近年では、空き店舗も増えているので、道路を借りて、公共空間にマーケットを開き、新しいお客さんとそこで商売を始めるような新しい担い手の両方が定期的に集まるような場を育てていくことを目標にしている。

これからどうしていきたい

愛・地球博は、パビリオンという楽しい場が、消費だけでなく、環境や社会問題を考えたり、行動変容を促したりする場になっていた。みなと土曜市も、単に楽しいマーケットではなく、人が集まることで、さまざまな可能性が広がっていくような場になるといいなと思いっている。これからも、さまざまなチャレンジをしたい人、それを応援したい人が集まる場にしていきたい。

パッションポイント

料理、得意技は他人の家の台所でいきなりご飯をつくること

公式サイト、出版物など

港まちづくり協議会

Twitter (@minnatomachi)

チケット(私のできること、得意なこと)

・まちの案内します

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

名古屋港

港まちのガーデンふ頭。朝早くかもめが飛ぶ。空が広くて気持ちいい。

お気に入りの場所(アウェイ)

アラスカ

大学ドミトリーの窓からの風景。日照時間が短いアラスカでは太陽の位置がいつも気になった。

つながり

堀江浩彰(ホリエビル)

・小澤陽祐(SlowCoffee )

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

堀江浩彰さんからの紹介でインタビュー。グランパスユースと対戦した話とアラスカ留学の話が面白くて、インタビューの大半をその話に使った気がしますが、そこにこそ原点があると感じました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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