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【東京】中村八千代(ユニカセ・ジャパン)

父親がつくった4億円の借金を返済し終え、フィリピンの社会課題解決のためのソーシャルビジネスを始めた中村八千代さん。

プロフィール

(フィリピン):UNIQUEASE Corporation 創立者
(日本):特定非営利活動法人 ユニカセ・ジャパン 理事長

中村八千代(なかむら・やちよ)
1969年東京生まれ。明治大学商学部卒業後、カナダに留学。 帰国後、父親の会社が倒産したことで、4億円の借金の連帯保証人であることが発覚。10 年かけて借金 を返済終了後、2006 年に途上国の恵まれない子どもたちを支援する「認定 NPO 法人 国境なき子どもたち (KnK)」の派遣員としてフィリピンに赴任。

2010年、フィリピン、マニラで貧困の連鎖という社会的課題を解決するためソーシャルビジネス 「UNIQUEASE Corporation(ユニカセ・コーポレーション)」を創立し、フィリピンの貧困層出身の青少 年たちを雇用し、彼らの社会復帰と自立を目指し、ビジネスマナーやマーケティングを含むユニカセオ リジナルの人材育成研修を実施。

2013年、実践的な青少年育成事業を強化するため「特定非営利活動法人 ユニカセ・ジャパン」を設 立。フィリピンと日本の青少年たちが異文化交流を通して実際の事業企画や運営に携わる機会を提供。 現在に至るまで、フィリピンでの教育支援を行う傍ら、日本の学生へ講演活動や研修事業も実施。

留学から帰国後、父親の借金返済生活に

東京都足立区で生まれ、スーパーマーケットなどを経営する父親と、酒販店を経営する母親のもとで育った。小さい頃から父を尊敬し、いつかは家業を継ぐことを考えていた。明治大学短期大学に入学し、半年たった頃、母親が余命宣告を受け、母親の介護と勉強との間で葛藤する日々が続いた。母親は余命宣告から8ヶ月後に亡くなり、糸の切れた凧のように喪失感に苛まれる中で、毎日のように友人たちが励ましにきてくれたことで立ち直ることができた。母親が生前に行きたいと言っていたカナダに家族で旅行し、その時に見たカナディアンロッキーの大自然は今でも忘れることができない。帰国後は気持ちを整理し勉強を続け、明治大学商学部の3年に編入してマーケティングを学んだ。

大学卒業後、2年間のカナダ留学を経て、商社への就職を夢見て帰国したが、父の会社が倒産したことで、父が数十億円もの借金を背負っていたことや、自分がその一部の4億円の連帯保証人になっていたことを知らされ、瞬時に夢も希望も奪われた。母親が営んでいた酒販店の経営も任されたことに加え、毎月120万円返済の80年ローンという地獄のような返済生活を送り、10年間奔走することとなった。

お金だけでなく人のために働きたい

借金を返済し続け4年の月日が経過した頃、酒販店で年商3億円の売上を達成し黒字にすることができた。しかし、その間、何度も過労で倒れるまで働き、「お金」「お金」という日々の中、身も心も擦り減らし、限界を超えていた。経営を任され責任を果たしたことで、一旦、酒販店を閉店することになった。その頃には、お金のためだけでなく、人のために働きたいとの思いが強くなっていたと同時に、親や社会の犠牲になっている子どもたちのことがどうしても他人事に思えなくなり、児童養護施設でのボランティアを始めた。

そんな中、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きた。テロリストを生んでしまう社会構造に問題があると考えるようになったことがきっかけで、国際的な緊急医療援助団体で働くことになった。NGO職員として働く一方で、毎月120万円返済を続けた結果、返済スタートから10年で、奇跡的に借金を終了することができた。すぐにNGOの元同僚に連絡すると、「フィリピンのポストが空いているから、行ってくれないか」と依頼され、その場で即決。借金の返済が終了した1時間後には、フィリピン行きが決まっていた。

2006年7月からフィリピンに赴任してすぐ、ストリートチルドレンをはじめ、様々な危険にさらされた子どもたちと接するようになった。そして、赴任して1週間後、かつて団体が支援していた男の子が銃殺される痛ましい事件が起きた。子どもたちや若者を取り巻く厳しい環境を目の当たりにした矢先、今度は別の子が病気になり、多額の医療費を支払うことができず、その子を救うことができなかった。なぜ10代や20代前半の若い彼らが死ななければならないのかと悩む中、無力感に支配されそうになった。貧困の負の連鎖を断ち切るためには、支援を受けた若者たち自身が社会の一員として働き、稼いで所得を得て、貧困から脱却する必要性を痛感した。

貧困層出身の子どもたちに教育支援をしたとしても、フィリピンでは18歳で成人とみなされることで基本的には支援が打ち切られ、大学進学を支援してもらえるケースはほんの一握り。よって、小学校や中学校レベルを卒業して間もなく自立しなければならないのが現実だが、学歴社会が存在するマニラでは、大学を卒業していない若者たちは仕事に就けず、再び貧困に戻ってしまうケースが多い。貧富の格差が存在する中、学歴に関係なく彼らが働ける場を作らなければという使命感を抱くようになっていった。

フィリピンでユニカセ・コーポレーション創立

2010年5月、ソーシャルビジネス「ユニカセ・コーポレーション」を創立。「ユニカセ」とは、英語の“ユニーク”とタガログ語の“カセ(ビコーズの意味)”を合わせた造語で、「なぜならば、(私たちは)特別な存在だから」という意味を込めている。

恵まれない環境下で生まれ育った若者たちの人材育成を行いながら、学歴に関係なく彼らが仕事に就き、稼ぐことができる場として、同年8月、マニラ首都圏のマカティ市でレストランをオープンした。

フィリピン、特にマニラ首都圏の食事は油ものが中心で、野菜の摂取が少なく、化学調味料や砂糖を使い過ぎる傾向にあり、生活習慣病にかかる人が多い。また、事前に市場調査を行った結果、200社の飲食店のうち、ベジタリアンカフェや健康に配慮した飲食店は2社しかないことが判明した。そこで、野菜や相性のいい食材を組み合わせることで、各疾病を予防するためのオリジナルレシピを開発し、自然食レストランとして健康的な食事を提供することで差別化を図った。

レストランがオープンした頃は、働くことの意味を理解していない貧困層出身のスタッフたちだったが、10年の経験を積み、毎月の売上目標を達成させて経営が安定し、自分たちで給料を稼ぐことができるようになってきた矢先、2020年3月からパンデミックによるロックダウンが突然始まった。厳しい外出禁止令が発令され、店内飲食は一切禁止、海外からのスタディツアーの予約(800名分)が全てキャンセルされ、一時期はケータリングで営業を継続したものの、フィリピン人客も失業するケースが増え、注文が激減。政府からの給付金も支援金もない中、代表者のフィリピン人スタッフが精神的にダウンしてしまったことで、2021年2月に閉店することになった。

日本でユニカセジャパン設立

2013年7月、NPO法人ユニカセ・ジャパンを日本で設立。青少年育成事業を通して、日本とフィリピンで社会貢献活動を行っている。フィリピンの社会問題の1つである「貧困の負の連鎖」を断ち切ることを目指し、恵まれない環境下で生まれ育った青少年たちに実践的な青少年育成事業を提供してきた。その中で、貧困から抜け出したロールモデルとして成長したフィリピン人スタッフたちが、「過去にユニカセで学んだことを次世代に継承したい」と提案。ビジネスの実践から習得した学びを基にまとめた英語研修やビジネスマナー研修をパートナー団体のNGO裨益者たちに提供している。

ほかにも現地の女性たちに、健康的な食事などに関する知識を伝える食育事業も行っている。日本では、貧困や教育問題などに取り組む国際協力やソーシャルビジネス、グローバルキャリアデザインなどに関心のある人に向けて講演やイベントを開催する一方、日本の学生たちには、自らの関心事を事業化するための実践的な体験を通して、社会人として必要なビジネススキルを学ぶ場を提供している。

これからどうしていきたい

ユニカセのビジョンである「子どもたちが安心して暮らせる社会を実現する。」

夢を抱き続ける大人でありたい。

パッションポイント

旅(各地で新しく出会う人たちや文化・歴史から刺激を受け、学ぶこと)

公式サイト、出版物など

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つながり

服部満生子(みんなの保健室 陽だまり)

鈴木真帆(アイキャン)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

服部さんからの紹介でインタビュー。同年代で大活躍されている姿に刺激を受けました。人生は平坦な道のりばかりではないけど、困難を乗り越えた先に見える景色と成長した姿。話してて眩いオーラを感じました。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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