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【横浜】齋藤保(イータウン)

港南台や新川崎でタウンカフェの運営や、各地でまちづくり支援などを行うイータウンの齋藤保さん。

プロフィール

齋藤保(さいとうたもつ)
株式会社イ-タウン 代表取締役

1968年富山県生まれ。国立富山工業高等専門学校卒業後、約2年のニュージーランド生活を経て富山YMCAで青少年教育や地域活動ディレクターなどを務めた後に、2002年に横浜市で起業。地域情報サイトe-townの企画運営やデザイン事業を行い、2005年からは「cafeからはじまるおもしろまちづくり」をキャッチフレーズに横浜港南台商店会、まちづくりフォーラム港南との三者連携で「港南台タウンカフェ」を運営。地域の多様や団体・市民参加型の街づくりを目指し奔走中。2007年からはコミュニティカフェ・ソーシャルビジネス支援事業プロデューサーとして横浜のみならず全国各地の「コミュニティカフェ」の 運営支援や、地域プロデューサーとなる「cafeマイスター」の人材発掘育成事業を展開。著書に「コミュニティカフェ~まちの居場所のつくり方、続け方」(学芸出版社)経済産業省ソーシャルビジネス55選(2008年)、横浜・人・まち・デザイン賞(2009年/2013年)、 まちづくり功労者国土交通大臣表彰受賞(2010年)

・総務省地域力創造アドバイザー
・認定コミュニティビジネスアドバイザー/コーディネーター
・くらしまちづくりネットワーク横浜共同代表
・横浜コミュニティカフェネットワーク代表
・エリアマネジメント組織鹿島田デイズ幹事
・NPO法人港南台こどもっと監事

ニュージーランド生活とYMCAでのキャリア

現在の富山県南砺市で生まれ育ち、小中学校と過ごす中でどこか閉鎖的な地域社会に嫌気がさして、早く家を出たいという思いが芽生えた。国立富山工業高等専門学校に寮があることを知り、試しに受けてみようと受験したら合格したので、そのまま進学。特に将来は理系の仕事を就きたいという夢はなく、学校に魅力を感じて通うことにした。富山高専時代の5年間は夏休みなどを使ってアルバイトや旅行をしたり、いろんな人生経験を進んでやった。旅をしていていつかペンションを経営したいという夢を抱き始め、レストランやホテルなどでアルバイトに精を出す日々。そんな中たまたまアルバイト先で知り合った知人にニュージーランドの素晴らしさを教えてもらい、お金を貯めてニュージーランドへワーキングホリデーに行った。

初めの数か月間は英語も話せず苦労したが次第に馴染んで、2年間過ごした。そして帰国して次はお金を貯めてカナダに行こうと考えていたときに、富山YMCAで英会話の事務員を募集してると教えてもらい、面接を受けに行ってみたが募集は締め切られており、諦めて帰ろうと思っていたら、声をかけられ事情を聞いてもらい、ほかのポジションも募集しようとしていたからと採用してもらえた。ニュージーランドでトレッキングガイドを経験していたことを活かし、キャンプなどの野外教育を担当した。YMCAでは7年間勤めたが、壮大なる「ムラ」を作る夢も頓挫しかけたころに縁があって横浜に引っ越した。

横浜・上大岡で『かみおおおか e-Town』

横浜市港南区上大岡に移り、IT企業のカスタマーサポート業務を始めた。90年代から京急線の上大岡駅ビルが新しくなり、周囲の再開発も活発になっていく。かつてあった庶民的な個人商店からチェーン店へとまちの風景も変わっていき、便利になる一方で人の温もりがなくなっていく気がして寂しさと危機感を覚えた。2000年から地域情報発信のポータルサイト『かみおおおかe-town』を同僚だったデザイナー、プログラマーの3人で立ち上げた。

当時はそうした地域情報発信のメディアも少なかったこともあり、アクセス数も伸び、マンションの広告も入るようになった。2002年にはイータウンドットコム設立。さらに地域の情報を深めようと区役所に相談したこともあったが、うまくいかず、地元の商店街が1ヶ所だけ親身になってくれた。また同時期からホームページの仕事も増え始め、WEB制作やデザインの仕事が中心になっていった。売上が伸びるものの、地域に根ざしたことができないことは悩みどころでもあった。

まちづくり活動を開始

ある時、まちづくりファーラム港南が主催するまちづくり勉強会に誘われて参加した。その後の飲み会で参加者同士で語り合ってると、みんな魅力的で、面白い方ばかりで意気投合。地域の活動団体は、情報発信、交流する場が欲しいという課題があがった。公共の場では市民との触れ合いや交流ができない。またハコだけでなくコーディネーターの存在が必要で、相談できる人が必要だという課題が見えてきた。そこで「上大岡交流交差点の会」を発足。誰でも参加できる場を作った。

港南台タウンカフェ開業

そんな頃、上大岡エリアでの再開発計画が動き出し、、その一部をを交流交差点として提案しようと話し合った。しかし公共の場だと、自分たちが目指していることができない可能性が高いことに気づき、結局政策提言はしなかった。やや意気消沈していたころに、同じ区内の港南台で、商店会からホームページを管理して欲しいという依頼が舞い込む。そこで「かみおおおかe-town」の事例を紹介すると、是非港南台でもやって欲しいと誘われる。しかも商店会事務所にオフィスを港南台に移して本格的に地域と歩める可能性があった。

商店会の事務所は週に半日だけパートさんが来て仕事をし、電話は別の場所に転送されており、多くの時間は活用されていなかった。その小さな事務所を拠点に活動を始めようとしているときに、ちょうど同じビルで空き店舗が出て、最終的には22坪の「港南台タウンカフェ」として2005年に開業することになった。まさにコミュニティカフェ黎明期の始まりである。運営をはじめ3年間でコミュニティカフェとしての基盤が確立。学生や主婦のボランティアに支えられ、いつも賑わうようになった。それまで交流機会もなかった高校生の意見が商店会の活動や情報誌などに反映されることもでてきた。

タウンカフェを核に港南台テント村という蚤の市でオープンカフェやマルシェ、キャンドルナイトを開いたり、情報誌も発行した。その後リーマンショックや東日本大震災を迎えて、コミュニティカフェとしての役割の重要性は増していく。そうした取り組みを視察に訪れる自治体や企業は増えていった。2016年からは川崎市幸区の新川崎エリアで、新川崎タウンカフェを三井不動産レジデンシャルと協働連携で開業。

これからどうしていきたい

地域の中で、タウンカフェのあり方や意義について議論する場が欲しい。地域の人にはまだ本当の意味でタウンカフェが「自分ごと」になれてないので、それを自分ごとにしていかないといけない。

全国に空き家や活用されてない公共施設がたくさんあるが、各地域の小学校区ぐらいににタウンカフェ機能があるといいと思う。独立したもので市民が運営して、まちの中の場づくり、地域の中の行政や企業と連携協働して、取り組んでいかないと、コミュニティカフェは自立型での運営は難しい側面がある。。行政機能の縦割りをなくして、本当の意味での生活圏でのプラットフォームとなる「場」をひろめていきたい。

パッションポイント

仕事がライフワーク

公式サイト、出版物など

公式サイト 株式会社イータウン

コミュニティカフェ: まちの居場所のつくり方、続け方(学芸出版社)

チケット(私のできること、得意なこと)

・必要としてる情報を教えてあげます。

※チケットをお願いする時、『ソーシャルタウンガイド』を見たと連絡するとスムーズです。
※コンタクトはSNSのメッセンジャーから連絡をお願いします。

お気に入りの場所(ホーム)

港南台タウンカフェ
神奈川県横浜市港南区港南台4丁目17−22 ブックスキタミ 2F
公式サイト

お気に入りの場所(アウェイ)

万座温泉
群馬県吾妻郡嬬恋村万座温泉
JR北陸新幹線『軽井沢駅』から路線バス

つながり

岩川舞(新川崎タウンカフェ)

加藤愛理子みやの森カフェ

河野通洋(八木澤商店)

※つながりは、紹介したキーパーソンとのつながり、または今後インタビュー予定の方です。

取材後記

斉藤さんとの出会いは最近ですが、自分がコミュニティ活動を始めた頃から存在は知ってました。ソーシャルタウンガイドを始めるにあたり、オンラインのイベントで繋がったりして、話す機会もできました。まだ港南台と新川崎のタウンカフェにはお邪魔できてませんが、必ず行きたいと思います。(野田)

インタビュー・野田国広(編集部)
グリーンドリンクス川崎のオーガナイザーをはじめ、かわさき新聞などのWEBメディア運営、シェアオフィスのコミュニティマネージャーなどを勤める。福岡市出身、川崎市在住。
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